Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.5/2003.1.8修正

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その5

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

是時に当て、大塩平八郎は、大坂に在て学問名声並高く、官民の信服を得たりしが、窮民の饑寒、日に切迫に趣んとするの状を見て、日夜憂苦して止まず、偏に之を救恤するの策を講ぜんと欲すと雖も、未だ良法を得ず、其間に、日月は去て饑寒は日一日より甚しきを加るを以て遂に止む事を得ず事を養子格之助に托め、之を東町奉行跡部山城守に愬て、官廩を開き、大に賑救するの挙あらん事を稟請せしむるに決したり、

平八郎は、元来其先今川了俊より出でゝ、尾張の大塩氏の族にして、世々職を大坂東町奉行の組与力に奉する者なるが、町奉行与力の職たるや、其職は卑しきも、其意に依ては市人の自由を検束し得べき要途に在るを以て、吏権常に重く、多く人の畏服する所となる者なれとも、其信服の如きは、却て反対に出る者ある中に、平八郎は、乃ち剛明正直の資ありて、加るに学問の深造を以てしたるが為め、吟味役の要職に立つと雖も、其獄を断ずるや、公明にして苟も理の存する所は何等の錯雑に遇ふ事あるも、曾て回避せず、一に直を伸べ奸を折て止み、毫も私欲を挟ます、民の利をのみ之れ図りたるに 依り、真率に市民の信服する所となりて、頗る徳望を得たり、

是故に、向には大坂東町奉行高井山城守の知遇を得て、支配与力に抜でられ、兵庫より大坂町奉行所支配の分に至るまで、凡そ十八万石の地を支配したりしかども、甞て誹謗を受けず、皆人民の尊信を得たる程にて、一たび高井山城守の老を告げ職を去るや、亦自ら用ふべからざるを知り、職を辞して天満の邸に屏居し、専ら徒を集めて文武の学を講習する事を以て楽しみとし、其他を顧みす、然れとも名声は嘖々として益、当時に囂しく、贄を執て教を乞ふ者、日に其門に踵けり、

而して其嗣子なきを以て、甞て西田善太夫の弟格之助を養て子となし、其家を継がしめたりしが、今や此饑民の状を愬んとするに当り、己の既に退隠の身なるを以て、事を奉行に禀する事を憚り、以て仔細の状を挙示して、格之助に授け、其長官に禀請せしむる事とは為したるなり、


『青天霹靂史』目次/その4/その6

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