Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.8

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『青 天 霹 靂 史』

その6

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

格之助は事を領して、一日支配頭東町奉行跡部山城守に見え、禀して曰く、

今や天下大に餓人民流離する事聞くに忍びざる者あり、其当府の如きは、最も甚しとす、早を趁て賑恤の方を施すに非れば、我民を如何せん、恐くは将に老者は溝壑に転じ、壮者は散じて四方に行くの惨状を見る事遠からざらんとす、某願くは、貴下の至仁を垂れて、大に倉廩を発して饑民を賑すの挙あらん事を懇請する者なりと、

山城守聞畢て曰く、然り、余亦此事を知れり、因て城代土井大炊頭の旨を請て、必らす施恤する事と為んとす、只其時日の如きは四五日を要せざる可らず、

と、格之助大に悦び、低首して民の幸たる事実に甚しきを謝し、退て之を養父平八郎に語ぐ、平八郎も亦大に悦ヒ、共に其時日を待てり、既にして七八日を経れとも、更に賑恤の事あらざるを以て、平八郎は怪訝に堪えず、復た格之助をして山城守に見えて、其命を聞かしむ、

山城守曰く、

公事多端、未だ城代の旨を請ふに遑あらざりしなり、尚ほ四五日を経ば、必らず実行せん、

と、格之助帰て、之を平八郎に報ず、平八郎之を聞き、曰く、

民の饑寒に切なる朝に夕を計らず、一日救はざれば、一日の饑寒を増すべし、然るを知て且つ行ふ事を急にせず、公事の多端なるに托して、時日を延く、豈に民を思はざるの甚しき者ならざらんや、奉行たるの職、此 の如くなる可らざるなり、其施政の弊多きも推て知るべし

と、因て止む事を得ず、又四五日を待たしむ、

然るに尚ほ報ぜられす、於是又復た格之助をして迫て山城守の命を聞かし む、

山城守曰く、

之を城代大炊頭に聞く、来春将軍退老し、世子新に職を襲ぐべし、是以て国費多端にして、倉廩非常の在米を要す、為めに近日江戸より回米を要求する事頻次にして、府廩将に空からんとする者あり、且つ今年を以て、之を見るときは、来秋の実りも亦未だ知る可らざるに、若し一旦卒然として、叨りに府廩を開き、賑救の挙に及ぶときは、爾後の御役料御合力米等に欠乏を告ぐべきは、必定ならんとす、故に此事の如きは、挙行する事を得ずとの議なり、之を領すべし、

と、格之助驚き帰て、詳らかに平八郎に語る、平八郎怫然として色慍るが如くにして歎じて曰く、

吾亦何をか言んや、在上の人にして、下民の窮苦を思はざる、一に此極に至るや、無情も亦甚しと謂ふべし、

と、大息之を久うす、


『青天霹靂史』目次/その5/その7

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