Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.12.16

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その52

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

文政十二年巳丑西町奉行吟味役に弓削新右衛門と云ふ者あり、性質残忍と雖とも、又諂諛に巧なるを以て、時の奉行内藤隼人正の寵眷を得たり、

故を以て暴行日に長じて底止する所あらず、而して其職に属する四ケ所の者と云ふ者あり、乃ち天満、道頓堀、天王寺、鳶田の四ケ所に住する所の人にして、市中及近郷を案視して、悪事を摘発する事を以て職と為す者なり、

其常に見る所は桎梏冤愁の事にあらざるはなきに依り、習自ら性を為して此徒多くは残忍殺を嗜む者、貪婪厭くなき者のみにして、善を誣ひ悪を掩ひ、専ら人を毀害して貨を得る事を之れ計らざるはなし、

其徒数人、河内国なる富者某の家に入り、家族五人を殺して金物を掠奪し、頒て其幾分を新右衛門に贈りて庇匿を請ふに及べば、新右衛門之を容れて尤めざるのみならず、自ら相類するの行を為す事も亦之ありき、

故に其党漸く新町の茶屋八百軒*1と称する者も亦之に連合して、不正暴横の行を為す事、言ふに忍びざる者ありたり、諸有司の輩は之を知らざるに非るも、新右衛門隼人正の寵者なるを以て、憚て未だ之を発する者あらず、皆眉を顰めて、竊に其無道を誹るのみなりしが、平八郎之を聞くに及び、慷慨して措かず、直ちに其状を摘発して新右衛門を自刃せしめ、其党天満の清五郎、千日の吉五郎、天王寺の安兵衛等数人を刑せり、因て奸吏の民俗を蠹蝕する害除かる、

然るに其贓金三千両あり、乃ち之を取て独自存する事能はざる者を賑恤するの資に供せしむ、其慶に頼る者多くして、民皆之を称せり、


管理人註
*1 八百が正しい。


石崎東国「大塩平八郎伝」その40


『青天霹靂史』目次/その51/その53

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ