島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
十三年庚寅、高井山城守命じて平八郎をして僧侶の汚行を罸せしめんとす、平八郎曰く、
今や僧徒の犯姦破戒到らざる所なし、実に市井無頼の少年よりも甚しき者ありと雖とも、是れは乃ち之を束せざりし事多年なるの罪なり、若し急に之を理するときは、必らず繁刑に堪えざらんとす、
故に先づ訓諭の令を敷き、既に再三にして猶ほ悛めざる者あらば、之を罸せん
と、山城守其言の如くならしめ、然後数十人を得て之
を遠島に流竄せり、僧侶の風、於是大に改る、
曾て斎藤拙堂の其書を平八郎に寄するや、
足下功名事業当世所稀、
如其殄滅妖邪沙汰、
僧侶誅除奸吏賑恤煢独有一於此、則称能吏、
况一身無而行之者乎、此方州の○○或所不能、
足下以○○○能之、綽有余裕、
従三都以達諸州、皆刮目圜視吐舌駭歎、
或聞風而起者有之、名声隠然動天下矣、
足下執事纔数年、耳乃能赫々、如此
と称賛せる者は、是れなり、豈に一世の能吏と称せざる可んや、