青天霹靂云　西町奉行吟味役ニ弓削新右衛門ト云フ者アリ、性質残忍ト雖モ又諂諛ヲ以テ時ノ奉行内藤隼人正ノ寵眷ヲ得タリ、故ヲ以テ暴行日ニ長シテ底止スル所アラス、而シテ其職ニ属スル四ケ所ト云フ者アリ、乃チ天満、道頓堀、天王寺、鳶田ノ四ケ所ニ住シ、市中及近郷ヲ察視シテ悪事ヲ摘発スル コトヲ以テ職ト為ス者ナリ、

其ノ常ニ見ル所ハ桎梏冤愁ノ事ニアラサルナキニ依リ、習自ラ性ヲ為シテ此徒多クハ残忍殺ヲ嗜ム者貪婪厭クナキ者ノミニシテ、善ヲ誣ヒ悪ヲ掩ヒ専ラ人ヲ毀害シテ貨ヲ得ルヲ之レ計ラサルナシ。

其徒数人河内国富者某ノ家ニ入リ家族五人ヲ殺シテ金物ヲ掠奪シ、頒テ其幾分ヲ新右衛門ニ贈リテ庇匿ヲ請フニ及ベバ、新右衛門之ヲ容テ尤メサルノミナラス自ラ相類スルノ行ヲ為スコト亦之アリ、

故ニ其党漸ク多ク新町ノ茶屋八百新ト称スル者亦之ニ連合シ、不正横暴言フニ忍ヒサル者アリ、諸有司ノ之ヲ知ラザルニ非ルモ、新右衛門ノ隼人正ノ寵者ナルヲ以テ憚テ未タ之ヲ発スル者アラス、皆眉ヲ顰テ竊ニ其無道ヲ誹ルノミ。

平八郎之ヲ聞キ慷慨シテ措カス、直ニ其状ヲ摘発シ新右衛門ヲ自刃セシメ、其党天満ノ清五郎、千日ノ吉五郎、天王寺ノ安兵衛等数人ヲ刑セリ、因テ奸吏ノ民俗ヲ蠹蝕スルノ害除カル。

然ルニ其贓金三千両アリ、乃チ之ヲ取テ煢独自ラ存スル能ハサル者ヲ賑恤ス、其慶ニ頼ル者多クシテ民皆之ヲ称セリ。

大塩平八郎伝云　西組与力ノ吟味役弓削新右衛門（一説ニ平八郎叔父トモ云フ）性行残忍ノ小人諂諛ニ巧ナルニヨリ奉行内藤隼人正ノ眷顧ヲ得タルヲ恃ミ恣暴増長悪行底極ナシ、四箇所ノ長吏 当時其魁タル者天王寺ノ安兵衛鳶田ノ勘五郎、千日ノ吉五郎等 及ヒ新町ノ妓楼八百新等其爪牙トナリ、賄賂ヲ貪リ貨財ニ涜レ、人ヲ殺テ金ヲ奪ヒ其ノ利ヲ頒ツ、

八百新ナル者己カ女ヲ進メテ新右衛門ノ妻トシ、屋後ニ其燕室ヲ構ヘ日夜同悪ヲ延テ密議ス、室中紙障【王毒】瑁ヲ以テ格子トナス、奢侈以ヲ類推スヘシ、是ニ於テ新右衛門ノ暴悪都鄙ニ隠レナキモ其上ニ倚ル所アルヲ以テ有司憚リ理ムルヲ得ス平八郎悉ク其姦悪ヲ摘発シ、新右衛門ニ自殺セシメ、其党数人ヲ梟首シ、贓金三千余両ヲ籍シテ無告ノ窮民ニ賑給ス、

市人抃舞シ平八郎ヲ仰ク父母ノ如シト。

相伝フ党中千日ノ吉五郎最モ残暴甚シ、甞テ深夜其徒ヲ率テ河内ノ一尼院ニ押入シ、公然己ガ名ヲ称シ寺主ヲ殺害シテ其儲金ヲ取ラントス、寺主頗ル才智アリ、死ニ臨ミ吉五ノ字ニ添画シテ二字ヲ造リ吉五郎ニ託シテ曰ク是レ予カ法号ナリ、予死セハ之ヲ仏堂ニ貼シ忌日ニ唱名センコトヲ、ト後吉五郎ノ縛ニ就クヤ、平八郎其舎ヲ検シ其法号ナル者ヲ看テ怪ミ問フ、吉五郎曰ク晨ニ横死セル河内ノ尼僧ハ鄙人ノ俗縁ナリ、故ニ冥資ヲ修メ之ヲ祭レリト、

平八郎叱シテ曰ク尼僧ヲ害セシハ汝也、看ヨ分明ニ汝カ名ヲ文字中ニ銜スト、吉五郎初メテ悟リ其明察ニ伏スト云フ。

按スルニ猾吏奸卒ノ糺弾ハ先生三大事功ノ最モ著シキモノニ係ル、而モ其事績ノ詳細ナルモノニ至テハ公文書全ク伝ハラス、

盖シ東西吏僚之ニ連ル者多シ 或ハ云与力同心十八人ニ及ヒ、巨魁弓削新右衛門ノ外西組ニ山本清兵衛、早川伝三郎、伴直三郎、古屋源之助、鳴瀬庄三郎、大須賀菊三郎、服部忠次郎等アリ東組ニ寺西幾四郎、浅岡助之丞、丹羽駒太郎、牧野庄三郎等ヲ数フルニ至ルト 而モ巨魁ハ老職弓削新右衛門ナリ、其爪牙ハ四箇所ノ長吏ナリ、既ニ新右ニ死ヲ賜ヒ其党与ヲ刑シ、以テ他ヲ戒飭シテ自ラ改メシムルハ最モ穏便ノ方法トスベク、従テ多ク記録ヲ止メサルハ此ノ故ニ依ルカ、而モ事実ノ大体ハ前二書ノ外伝説大抵一致スルヲ以テ之ヲ領スルヲ得ベシ。