島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
凡そ天下の事は、原因ありて、然後結果を生ぜずんばあらず、未だ曾て其原因なくして結果ある者を聞かざるなり、
乃ち因果の説は特り大雄氏の一家言にあらずして、天下の真理たりと謂ふべし、今之を平八郎の事に考るも亦然らざらんや、
平八郎が暴挙を企るは、蓋し偶然の事に非れば、之を読む者は亦、此れが結果を致す所以の原因ありて、存する者を求めざる可らず、
曰く、之を救助を拒むに出るとせんか、
曰く、否な、是れ副因と称すべきのみ、原因と為すには、足らざるなり、乃ち跡部山城守の能を妬む者、是其成因なり、
初め平八郎は、高井山城守の知遇を得たるを以て、有為の才を尽して包蔵する所なく、明断果決能く吏務を処せるを以て、官民之に信服し、既に其職を辞するの後と雖とも、声望隠然として、公私の間に震へり、因て山城守は、常に之を忌み、密に謀て平八郎に服従する所の諸士を貶して、先つ其党援を除き、尋で事に中てゝ平八郎の声望を墜さん事を企てたり、
平八郎も亦之を聞て憮しとせず、之に加るに、良知の学を講じて、正義高潔の心は、日に愈以て増長する所に史胥の行は、滔々として汚穢に陥りて、民俗を害するの深きを見て、憤恚の志抑ふべからず、
其熱情は、恰も火坑の如く、烈々として消し得ず、将に事に触て発裂せんとするの勢あり、
是時に当てや、山城守と平八郎との相容れざるは、水火よりも甚しきの狂相ありき、
是以て其一旦にして、衝着する時は、彼の如き変動を生ずるも固と怪むに足らざる所なり、
是れ読者の其原因として考察を下さゞる所の要点と謂ふべし、
然らずんば豈に平八郎と雖とも、救助を拒むの一因を以て俄に彼の如き暴挙を企る事あるべけんや、従来の憤悶鬱結する者此機に触れて、発裂するに至りたる事知るべきなり、
乃ち平八郎が平生に述作する所の詩を以ても、其悶鬱する所の情、得て見るべし、