Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.15

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その7

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

平八郎は、之よりして後、在上の人の頼みを繋く可らざるを知り、他の方法を以て、饑民を救恤せん事を図り、日夜苦心して眠食を忘れ、頗る思考を労する所ありしが、漸やく一の考按を得て、先づ之を常に親近する所の相組同心、庄司義左衛門に諮る、曰く、

吾れ近日饑民の状況を見るに忍びざる者あり、前に格之助を以て、賑恤の特恩あらん事を奉行所に稟請したりしかども、遂に府廩匱乏の虞ありと称して、容られず、大に遺憾あり、因て爾来他の方法に依り、救恤を致し事を欲し、百方其法を講じ、僅に一按を定めたり、乃ち他にあらず、金を市中の豪商輩に借て、窮民に施与するの料と為んとするなり、其弁償の方の如きは、吾輩世禄を以て、年々に返入するの約と為さば、則ち此事たるや、固と一身一己の私に出るにあらずして、多数人民の為めにする事なれば、豪商輩と雖も、決して承諾せざる事は有らざるべし、吾輩民の膏血に衣食する者、焉ぞ今日の饑民の状況を見ながら、飽食暖衣して過ぐべけんや義、以て為す所なかる可らざるなり、足下望むらくは、仁人君子身を捨てゝ人を救ふ者あるの義を思ヒ、吾考按に同意して、員に借者の一人に備る事を諾すべきや

と、義左衛門、欣然として曰く、

先生の言、真に善し、僕不肖と雖も、亦世禄に食む者なり、焉ぞ同意を為さゞる可んや、唯之を施与する所の点に於ては、僕願くは之を奉行所の恩施に出ると称せんとするなり、夫れ能を妬み、功を害するは、和漢の通患にして、殊に当世を甚しとするを以て、是時に於て之を一己の私にせず、徳を其上に帰する事と為さば、一方には非常の陰徳となり、一方には、後害を避るの良策たらんとす、僕之を先生の為めに計る、

と、平八郎、曰く、

大に可なり、其言に従ん、

義左衛門、曰く、

果して然らば、民の膏血に食む者は、特り先生と僕とのみならざるなり、願くは尚ほ相組の諸士に説て、此美挙に従はしめんとす、

と、是より義左衛門は日夜奔走して、諸士の門を叩き、説くに此事を以てして、遂に二十有余人の同意者を得て、平八郎に帰り報ずるに至れり、蓋し平八郎の喜び知るべきのみ、


石崎東国『大塩平八郎 伝』その97


『青天霹靂史』目次/その6/その8

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