Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.22

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『青 天 霹 靂 史』

その8

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

大阪の地たるや、全国の中央に位し、海運の便を得たるが為め、四方の貨物此に輻輳し、市中は縦横河水の貫流するを以て、頗る商利に適し、全国商賈の府とも称すべき者ありて、苟も天下の商機を争んとする者は、必らず此地に頼(ヨ)らざる可からざるの状勢あるにより、豪戸の数も亦極て多く〆、将に侯伯を睨視せんとするの富人なきにあらず

而して其中に在ても、鴻池善右衛門と称する者は、数世の豪戸にして富み、一府の間に雄視する者なるを以て、平八郎は以為らく、先づ此人を説かば、其余の擾々たる者は労せずして定るべしと、乃ち日を卜して今橋二丁目なる善右衛門の家を訪ひたり、

善右衛門は、之を客室に請じ、面接なすに、欸待極て礼あり、因て平八郎は告るに、来意を以ての饑民の救はさる可らざる情状を説き、曰く、

吾輩、向に賑恤の事を、其上に啓する所ありしも、省せられず、故に止む事を得ず、天満の組与力同心中に於て、同志の士二十余人と議し、其世禄を抵当として、金若干を市中の豪戸に借り、以て奉行所に献じて、施与に供せんとするの所志なり、是より踵で又、三井平野等の十有余家に至りても当(まさ)に説くに、此事を以てすべしと雖も、吾子が家は当府の豪戸に在て、其牛耳を執るに依て、首として来て、之を説く者なり、

と、其志を愬るに切なる事、切々凄々として、一語は一語より励しく、至誠惻怛なる、頗る人を感動せしむるに足る者あり、

善右衛門は、未だ平八郎を知らずと雖も、其徳を聞く事久し、而して、今や始て其人を見、其言を聞くに及べば、申々たる徳容あり、民の憂を以て己の憂と為すの情、言外に溢るゝに感じ、奮て曰く、

天下の疾しきは、即ち吾疾しきなり、何ぞ己の冨で安きの故を以て、他の窮苦を顧みさるの理あらんや、小人逮ばずと雖も、貴托を受るに於ては、幾分の薄資を出して、以て施与の料に供する事を辞ぜざるべし、
然るに、一人敢て之を専決する時は、他の後譏らん事を恐る、願くは 数日を緩うせられば、三井平野等の諸輩に協議して、金額を決定し、尚ほ貴弁の方をも定めて、奉答するあらんと欲するなり、

と、平八郎、之を聞き喜悦し、一に其結果に至るまで、善右衛門の介意に任すべきを約し、然後、談を転して、世上の事に及び、応対之を久うして、就ち善右衛門に言て曰く、

聞く、吾子が家制は、熊沢蕃山翁の筆に成りて、今日に至るまで、之を改めず、日々に遵守する者なりと、吾れ今にして其言の謬らざるに感じ、又其冨を致すの所以あるを知るなり、
何となれば、夫れ吾子が家は当府の豪戸にして、其巨擘に居る者なり、
吾は又、無似と雖も、町奉行組与力の後に居るを以て、多く市人の畏服を受る所の職に在る者なり、是以て普通の人情よりして之を見れば、饗応歓待、意外に出づべき者あるに、吾子は然らず、饗するに、一般の来人と同等なる番茶一碗を以てして止む、是れ安ぞ蕃山翁の遺制に依る者にあらざらんや、阿らず諂はず、吾れ吾子が家の守るあるに服するなり

と歎賞して止まず、

善右衛門は、其言の忝なきを謝し、尚ほ他談之を久うす、


『青天霹靂史』目次/その7/その9

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