島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
時に日正に哺時なるを以て、善右衛門は、命じて午餐を饗せしめんとす、平八郎乃ち之を止め、曰く、
吾れに家禄あり、故なく人に食むべからす、是以て予め行厨を備ヘたり、吾子其れ之を措け、
と腰間より握飯に梅干を添たる者を出して之に示し、以て一碗の茶を得ん事を請ふ、善右衛門曰く
然らば則ち厨に蘿葡の羮あり、今正に熟すと云ふ、之を饗するは如何、
平八郎曰く、
厚意一碗の羮を啜るも不可なかるベし、
と、因て善右衛門は蘿葡羮を饗して、己も亦之に陪食す、
食畢るの後、平八郎は不日にして、又復た相見んことを約して之を去り、三井平野等十有余家に過ぎり語るに、善右衛門に説く所あるを以て其事を聞き、大に尽力せられん事を請ふの数言を以てして帰家したり、
寔に平八郎が善右衛門の家に至るの談の如きは、平八郎が身を持するの清白にして、善右衛門が家を守るに素なるを知るに足て、後世に至るまで、其風采を追慕せしむる者あるなり、