Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.1.25

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大塩の乱関係論文集目次


『維新革命前夜物語(抄)』
その6

白柳秀湖 (1884-1950)

千倉書房 1934 より

◇禁転載◇


第十二章 水野忠成インフレーションの巻

一一八
 硝子で飛泉を造り炭火で
  桜花を咲かせた忠成の豪奢

『寛天見聞記』は水野出羽守のインフレ政策によつて、俄にその場数を増した富興行のことについて、次の如く記述して居る。

 なおこの外にも、水野出羽守が三都ブルヂヨアどもの請託を容れて施したと思はれる政策で、徒らに財政を紊乱し、奢靡の風を煽揚した失措(しつそ)は頗る多かつた。例へば長崎に於ける支那、オランダとの貿易に関し、寛政中に定められた制規を改め、輸入船舶の数と輪出銅の数とを増し、同じく朝鮮、琉球との互市(ごし)に関しても、輪出銅の数を増した如きその最も甚だしきものであつた。

 忠成、本所中之郷下邸(しもやしき)に自慢の庭園をしつらへ、これに将軍の台臨を乞はうとするけれども、元禄の柳沢一件以後は、将軍家が老中の邸に御成りなるといふことが止み、全くその前例のないのに苦み、附近なる小梅に水戸家の下邸のあるを幸ひ、先づ将軍がこれに御成りになることのあるやうに仕向け、そのかへり途に、通りぬけといふ名目で、台駕をその中之郷なる下邸に迎へた。

 人も知る如く本所中之郷は隅田川のほとりで、土地に高低がない。忠成金にあかせてこれに林泉をかまへ、花木亭館の結構をつくしたけれども、築山に飛泉を設けることが出来ない。そこで硝子の線、数万条をつくりてこれを懸崖にかけ、あたかも飛泉を望むが如くにしつらへて、将軍の目を驚かさうとした。また台駕を迎える時に天尚ほ寒く、俄に移し植ゑた桜の花がまだほころびかねたのを、前日紙帳でくるみ、さかんに炭火をおこして無理に咲かせた。しかし将軍も流石に馬鹿でなかつたか、さほど感心された様子もなかつた。

 忠成が病死した時、将軍(家斉)がこれをきいて『出羽守はよい時に死んだ。もし、今少し長生してその職に居たならば、本人はいかに堅固であらうとも、傍(はた)から贔屓の引倒しにされたかも知れぬ』といはれたということである。恐らく田沼の末路を諷されたものであらう。これらの点から推して考へると、初め、松平越中守を用ひてデフレ政策に精進させた家斉が、俄に越中守をやめて、水野出羽守を用ひなければならなかつた裏面の事情も略(ほゞ)、推察することが出来る。


『維新革命前夜物語(抄)』目次/その5/その7

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