Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.13訂正
2002.1.29

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


『維新革命前夜物語(抄)』
その7

白柳秀湖 (1884-1950)
千倉書房 1934 より

◇禁転載◇


第十三章 天保の大飢饉、都市ブルヂヨア豪華の巻

一一九
 行程四五日旅費懐中に重く
  米の顔は一度も拝めぬ津軽

 安永、天明のインフレで、既にあれほどの大飢饉を惹き起して置きながら、幕府はなほ懲りず、更に文政、天保のインフレをやつた。どうして大飢饉が起らずに居られよう。インフレ政治家から見れば飢麓は天災であつて、インフレとは何の関係もないことのやうに思はれて居たであらう。しかし、宝暦以降、一般国民の凶作に対する抵抗力は、極端に薄弱なものになつて居た。中央で宿老がビードロの滝を作り、炭火をおこして桜の花を促し、ブルヂヨア達が、一碗の茶潰、一皿のかくやに一両二分の価を惜しまなかつた時、地方には天明と同じ大飢饉の悲惨が、レールの上を走る汽車と同じやうに進行して居た。

 天保二三年の頃から気候がとかく順をうしなひ、五穀のみのりがよろしくなかつたところへ、天保四年、夏の半頃から、霖雨が続いて気温が低く、少しも夏らしい陽気がやつて来ぬ。六月の末には諸川が溢れて民家を浸し、田畑を損することが夥(おびただ)しかつた。かてて加へて八月一日は、近来稀なる大暴風雨で、人家の倒潰、田畑の損害甚しく、人畜の害を被るものも少くなかつた。

 再び飢饉は来た。しかも、その最も甚だしかつたのは例によつて東北地方であつた。『徳川太平記』に次の記述がある。


『維新革命前夜物語(抄)』目次/その6/その8

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ