◇禁転載◇
三、末 路(3) |
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評 定 所 の 吟 味 |
暴動鎮定後、自訴したる者、生擒せられたる者、又は一味の嫌疑を以て召喚せられたる者、合計数百名に及び、与左衛門町牢屋敷内の新牢は或は之が為に新築せられたるものなりといふ。 | |
裁 決 |
即ち吉見九郎右衛門平山助次郎は当初隠謀に与りしと雖も、密告の功に因り、罪を免して譜代に列し、小普請に入らしめ、旧禄を給ひ、九郎右衛門子英太郎及河合八十次郎二人は平八郎の邸内を忍出で、九郎右衛門認むる所の与党連名状を町奉行に上りし功に因り、銀五十枚宛を賜ひ、平八郎父子・竹上万太郎・大井正一郎・庄司義左衛門・瀬田済之助・小泉淵次郎・渡辺良左衛門・近藤梶五郎・宮脇志摩・孝右衛門・郡次・九右衛門・忠兵衛・源右衛門・伝七・司馬之助・文哉・才次郎・利三郎を大阪に於て引廻の上磔刑に、其他死罪・遠島・追放・押込・手錠・科料・叱等に処せられたる者百数十名、吟味中牢死したるもの亦少からず。 | |
刑 の 実 施 | かくて九月十八日平八郎以下の処刑を大阪に於て執行し、城南鳶田に梟すこと三日なりしが、受刑の際生存せしは竹上万太郎三平の二人にして、他は塩漬の死体に刑を加へ、又利三郎は死体麋爛せしが為、其墳墓を壊ちて刑に代へたり。
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主 犯 者 の 子 弟 | 評定所の判決は主犯者の父兄妻子及暴挙に附和雷同せる者に対し、極めて寛典に従ひ、平八郎の子弓太郎を永牢とし、巨魁忠兵衛孝右衛門等の男児を遠島に処せるも、十五才まで之を親類預とせるを以て、識者大に之を嘆賞せり。 |
に 対 す る 寛 典 |
平 八 郎 裁 許 状 の 失 態 |
然れども平八郎の判決文に於て「格之助え可嫁合約束ニ而養置候摂州般若寺村忠兵衛娘みねと及奸通」とあるに就いては一言の弁無からざるべからず。
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賞 賜 |
幕府は判決申渡と同日を以て、動乱鎮定に功ありし者に賞を行ひ、土井利位 ○天保八年五月所司代と為り、同九年四月老中に進む、 に刀一口を、遠藤胤統に鞍鐙を、胤統の用人畑佐秋之助に銀二十枚時服二領を、組与力坂本鉉之助に銀百枚鹵獲砲一門を、同本多為助に金五十両を、同心山崎弥四郎に金三十両を、同糟屋助蔵に金二十両を賜ひ、鉉之助を大阪御鉄砲方とし、御目見以上の末席に、為助弥四郎を御譜代に、助蔵を上下格に進め、町奉行及城代定番の間を往復して伝令の任務に服せし三町人の一人尼崎又右衛門に銀十枚時服二領を賜ひ、代官根本善左衛門同池田岩之丞等に褒詞を与へ、次いで評定所に於て暴徒吟味の任に当りし中野又兵衛外五人に縮緬金銀等を賜へり。
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