Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.12.19/2003.9.1修正

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 乱」その10

『大阪市史 第2巻』(大阪市 1914、1927再版)より

◇禁転載◇



改行を適宜加えています。

三、末 路(2)


美
吉
屋
五
郎
兵
衛


油掛町美吉屋五郎兵衛の下婢某は平野郷の人にして、平野は城代土井利位の所領なり、下婢主家炊米の量家人の数に比して多く、而も毎日剰す所無きを訝り、帰郷して之を里人に語りしに、其事平野在勤の利位の家臣に聞へ、三月廿六日夜家臣より之を利位に告げたり。

平
八
郎
父
子
を
隠
匿
す
与
力
内
山
彦
次
郎
平
八
郎
父
子
の

是より先き官五郎兵衛が年来大塩邸に出入せるを知り、乱後捕へて訊問を下したれども其実を得ず、五郎兵衛を町預として釈放し、而も常に其挙動を注意せる際なりしかば、必然平八郎父子を隠匿せるものならんとし、立入西組与力内山彦次郎○城代屋敷に出入りして諸事を弁ずるを立入といふ、に命じ、密に五郎兵衛を糾明して其実を得たり。是に於て城代目付時田肇家中武芸に名ある者岡野小右衛門・菊地鉄平・遠山勇之助等八人を率ゐて捕縛方となり、抽籖を以て進入の順序を定め、出来得る限り父子を生擒すべきを約し、各々半棒を準備し、廿七日丑ノ刻彦次郎と捕縛の手続を協議せしに、

所
在
を
偵
察
す
城
代
家
臣
等
彦
次
郎

彦次郎先づ同心四人と共に油掛町会所に赴き、情況を探り、之を報告するを以て、報告次第捕縛に著手すべきことを求めしかば、肇等之を諾し、部屋目付鳥巣亥四郎を彦次郎一行に加へ、注進の役に充てたり。寅ノ下刻過肇等亥四郎の報告を得て、本町五丁目会所に至り、更に信濃町 ○油掛町の南に接す、今の靱南通一二丁目是なり、会所に至るや、彦次郎五郎兵衛宅の略図を開きて、平八郎父子の潜伏せる隠居所を示し、彼等の剃髪せるを告げ、且つ曰く、庭口を追手とし、裏の抜路次を搦手とし、一行両手に分れ、先づ五郎兵衛の妻女をして密に平八郎に向ひ、五郎兵衛預の事につき、家財取調のため役人出張せり、暫く抜路次より脱出ありたしと言はしめ、其出づるを待ちて之を捕へんと。

変
と
捕
縛
の
手
続
を
議
す
城
代
家
臣
彦
次
郎
等
美
吉
屋
を
囲
む

鉄平勇之助之を難じ、平八郎若し五郎兵衛妻女の言を聞かば、捕吏来ると為し、或は自刄する恐あり、直に闖入して縛するに如かずといひしが、遂に彦次郎の説に從ひ、卯ノ下刻頃別れて五郎兵衛宅を囲み、小右衛門鉄平等四人及彦次郎同心二人は追手に進み、肇勇之助等五人及同心二人は搦手に向へり。
是時東西両町奉行出馬して附近を警戒し又惣年寄今井官之助・比田小伝次・永瀬七三郎三人は町奉行の命を奉じ、火消人足を從へ、万一の変に備ふる所ありたり。追手に向へる一隊は搦手の警戒成るを見て進み、鉄平と岡村桂蔵○桂蔵は城代家臣なれども捕手を命ぜられたるにあらず、私に隨来れる者なり、とは止りて店口を守り、六人は内に入り、先に協議せる旨を五郎兵衛の妻に授け、平八郎を呼ばしむ。

平
八
郎
父
子
自
殺
す

平八郎妻女の声を聞き庭の小路次を開きしが、捕吏の来るを見て直に之を鎖し、之と言語を交換すること再三、鉄平来り見て時の遷延するを恐れ、小路次を潜り、半棒を振つて隠居所の雨戸を破壊するや、火気忽ち破口より噴出せり。
小右衛門以下勢を得て悉く雨戸障子を破壊し、正面障子の内に格之助の死体と覚しきものを認め、又平八郎の脇差を抜き、壁に倚りて立てるを見ると雖も、火気盛にして近くべからず、乃ち半棒を以て火を払ひつゝある間、平八郎脇差を以て横に咽喉を貫き、之を抜きて捕吏に投ぜり。搦手に向へる一隊は待つこと良々久しくして隠居所方面人声あるを聞き、勇之助等三人進んで内部を窺ふに、突如として火炎燃上り、髣髴の間円顱を認めしを以て、一斉に突進し、強ひて雨戸を破れば、火既に熾にして如何ともすべからず、追手の一隊は辟易して路次外に遁れしが、鉄平外一人再び進んで平八郎投ずる所の脇差を得たり。
是に於て彦次郎消防人足を督促して火を鎮めしめ、辰ノ刻過平八郎父子の死体を引出し、駕篭に乗せて信濃町会所に運び、両町奉行以下之を検し、美吉屋五郎兵衛と共に高原溜に送る、過ぐる所観者堵の如し。
時に平八郎四十五才格之助廿五才許といふ。
当時死体を検分せし今井官之助の談話に、格之助の胸に突疵ありしと。恐らくは平八郎先づ格之助を刺し、次に自刄せしなるべし。

    大塩平八郎父子召捕の記、内山彦次郎勤功書、旧惣年寄今井克復氏談話(史談会速記録)、美吉屋五郎兵衛同つね申口、
 


井形正寿「大塩平八郎終焉の地について
井形正寿「美吉屋五郎兵衛の家業についての考察
大塩平八郎終焉の地碑


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