◇禁転載◇
四、乱 後 の 賑 給(1) |
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道 頓 堀 芝 居 に |
されば急に道頓堀劇場を以て罹災者収容所に充て、保護を受くべき親戚故旧無き者を入らしめしが、家財を携へて避難せる人々は、之を託する所無きに苦み、収容所に入らんと欲して入る能はざるもの多かりき。 |
罹 災 者 を 収 容 す |
御 救 小 屋 三 ケ 所 を 設 く |
但し、道頓堀の収容所は咄嗟の間に成り、久しく此地に罹災者を置く能はざりしにより、新に天王寺御蔵跡及天満橋南北両詰に御救小屋を設けて之に徒し、三月四日道頓堀収容所を閉鎖しぬ。 | |
掛 惣 年 寄 の 諭 告 |
是時御救掛惣年寄の説諭に曰く、御救小屋にある者は速に各々一定の職業を求めて、自活の資を求むべく、借家を求むる者あらば、家主は不法なる家賃を取らずして其要求に応ずべく、又奉公を望む者あらば御救小屋にありたるを名として無下に之を退くること勿れと。 | |
再 び 三 郷 并 に 兵 庫 西 ノ 宮 の 窮 民 に 二 千 石 を 賑 恤 す | 城代土井利位再び現米二千石を発し、御救小屋以外の窮民にして三郷并に兵庫西ノ宮に散在する者を賑し、三月八日毎戸に白米二升八合を分配し、又加島屋作兵衛・千草屋恒五郎・堂島新地十町等、町々及己人四十八口の義捐額合計銭二万七千三百廿五貫文・金千疋・米十俵を三郷類焼難渋人に施し、同月十日毎戸に銭一貫文○大塩焼による焼失竃数合計一万二千五百七十八軒なり、是等を悉く難渋人と見做して、毎軒一貫文を施すも、尚多額の残高あり、此残高は爾後申出でたる町々及有志の施銭額と併せて、本年六月廿六日及七月四日の施行銭に充てられしなるべし、を分配せり。
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町 々 有 志 の 義 損 額 と 其 配 当 |