Я[大塩の乱 資料館]Я
1999.11.28/2003.9.1修正

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大塩の乱関係論文集目次


「大 塩 乱」その2

『大阪市史 第2巻』(大阪市 1914、1927再版) より

◇禁転載◇



改行を適宜加えています。

一、挙兵の決心と準備 (2)


天
保
七
年
の
飢
饉
に
対
す
る
官
私
施
設
の
失
当


天保七年米価騰貴して、市民大に之に苦むや、官諸侯に命じて大阪廻米を多額ならしめ、堂島浜方をして意を米価の平準に致さしめ、囲籾を施与し、又富商豪家に賑恤を促す等、百方救助の手段を講ぜりと雖も、其施設猶矛盾する所あり、即ち町奉行所は有米の潤沢を計り、接続町村に輸送すべき米額を定め、町村より密に三郷に来りて少額の米穀を購ふ者あれば、之を捕縛するに躊躇する所無く、而も幕命に応じて多大の石数を江戸に廻送するに尽力せり。
富豪有志米銭を施与せざるにあらず、其額必ずしも寡少なりとせざるも、是等豪商にして諸家の蔵屋敷に出入せる者、平日振舞と号し、金談に託して蔵屋敷の諸役人を誘ひ、狭斜青楼に出入して一夕千金を投じて惜まざるに比しては、少額に失せるものと言はざるを得ず。

 

大
塩
平
八
郎
町
奉
行
の
施
政
矛
盾
と
富
豪
の
驕
奢
と
を
憤
慨
す

平八郎の檄文に「此節米穀弥高直ニ相成、大坂之奉行并諸役人ども万物一体之仁を忘れ、得手勝手の政道をいたし、江戸へ廻米いたし、天子御座所之京都ヘハ廻米之世話も不致而巳ならず、五升一斗位之米を買に下り候もの共を召捕抔いたし、実ニ昔葛伯といふ大名、其農人の弁当を持運び候少児を殺候も同様、言語同断、何れの土地ニても人民ハ徳川家御支配之ものニ相違なき処、如此隔を付候ハ、全奉行等之不仁ニて、其上勝手我侭之触書等を度々差出し、大坂市中遊民斗を太切に心得候は、前にも申通道徳仁義を不存拙き身故ニて、甚以厚ケ間敷不届之至且三都之内大坂之金持共、年来諸大名へかし付候利徳之金銀并扶持米等を莫大ニ掠取、未曾有之有福に暮し、丁人之身を以大名之家老用人格等ニ被収用、又者自己之田畑新田等を夥しく所持、何に不足なく暮し、此節之天災天罰を見ながら畏も不致、餓死之貧人乞食をも敢而不救、其身ハ膏梁之味とて結構の物を食ひ、妾宅等へ入込、或ハ揚屋茶屋へ大名之家来を誘引参り、高価の酒を湯水を呑も同様ニいたし、此難渋之時節ニ絹服をまとひ候かわらものを妓女と共に迎へ、平生同様に遊楽に耽候ハ何等之事哉、紂王長夜の酒盛も同事、其所の奉行諸役人手ニ握居候政を以、右之もの共を取〆、下民を救候儀も難出来、日々堂島相場斗をいじり事いたし、実に禄盜ニて決而天道聖人之御心ニ難叶、御赦しなき事に候」とあるに対しては、当時の有司豪商当に弁解の辞無かるべし、

 
遂
に
意
を
決
し
て
兵
を
挙
げ
ん
と
す

是に於てか已に新奉行の施設に飽かざりし平八郎は、之未曾有の天災に対する官私の施設宜しきに適せざるを見、「蟄居の我等最早堪忍難成、湯武の勢孔孟之徳はなけれ共、無據天下のためと存、血族の禍をおかし、此度有志之もの共申合、下民を悩し苦メ候諸役人を先誅伐いたし、引続き驕に長じ居候大坂市中金持之丁人共を誅戮し、其所蔵の金銀米銭を散布して貧民救済の本願を果さんと欲し、勃然として立てり。
平八郎が蔵書数万巻を鬻ぎて貧民に施与する所ありしは、挙兵に臨んで人を集むるの便に資せしものとするも、有司巨商之に覚醒して禍を未発に防ぐを得ず、遂に平地に大波瀾を生ずるに至れり。

    旧惣年寄今井克復氏談話(史談会速記録)、大塩平八郎檄文、
 
挙
兵
に
関
す
る
伝
説

弟子東組与力同心の不安に対する同情と、町奉行并に富商豪家の挙作に対する不平とは、平八郎を駆りて暴動を敢てせしむるに至れり。或は平八郎格之助をして飢民賑恤を良弼に強諌せしむること再三なりしも用ゐられず、又鴻池屋善右衛門等十数名につき、救済の金を借らんことを求めて拒絶せられ、為に暴挙を速にせりといふものあれども、確証無きのみか、事実に遠し。恐らくは後人の附会ならん。

 
平
八
郎
の
気
質
及
人
相

平八郎を目して癇癪の甚しき者なり、悍馬の如しといへる矢部定謙の評は甚だ当れり。
「顔細長ク色白キ方、眉毛細ク薄キ方、額開キ月代青キ方、眼細く釣候方、鼻常体、耳常体、せい常体、中肉、言舌さわやかにて尖き方」といへる人相書は、髣髴の中に平八郎の敢為峻属の人たるを想はしむ。
敢為峻属の人動もすれば忿恚を発し、動作異常に出で易し。彼が定謙と卓を列ねて共に食し、談偶々国事に及び、憂憤して金頭を首より尾までわりわりと噛砕きて之を食せるは其一例なり。
「新衣著得祝新年、羮餅味濃易下咽、忽思城中多菜色、一身温飽愧干天」と口占し、身を忘れて乱を作すに至りしも亦此例のみ。之を平八郎の驕慢に帰するは誤れり。
「無之事ニ者候得共、天下御大切之是と申事之節者、隠居ながらも急度砕身粉骨可致積」の平八郎をして、空しく賊名を負ひて自刄せしむるに至る、悲しむべきかな。

    浪花筆記、東湖随筆、御触及口達(天保八年)洗心洞詩文、大塩中斎消息(関根一蔵氏蔵)、
 


大塩檄文
「檄文」

「人相書」


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