◇禁転載◇
一、挙兵の決心と準備 (2) |
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天 保 七 年 の 飢 饉 に 対 す る 官 私 施 設 の 失 当 |
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大 塩 平 八 郎 町 奉 行 の 施 政 矛 盾 と 富 豪 の 驕 奢 と を 憤 慨 す | 平八郎の檄文に「此節米穀弥高直ニ相成、大坂之奉行并諸役人ども万物一体之仁を忘れ、得手勝手の政道をいたし、江戸へ廻米いたし、天子御座所之京都ヘハ廻米之世話も不致而巳ならず、五升一斗位之米を買に下り候もの共を召捕抔いたし、実ニ昔葛伯といふ大名、其農人の弁当を持運び候少児を殺候も同様、言語同断、何れの土地ニても人民ハ徳川家御支配之ものニ相違なき処、如此隔を付候ハ、全奉行等之不仁ニて、其上勝手我侭之触書等を度々差出し、大坂市中遊民斗を太切に心得候は、前にも申通道徳仁義を不存拙き身故ニて、甚以厚ケ間敷不届之至且三都之内大坂之金持共、年来諸大名へかし付候利徳之金銀并扶持米等を莫大ニ掠取、未曾有之有福に暮し、丁人之身を以大名之家老用人格等ニ被収用、又者自己之田畑新田等を夥しく所持、何に不足なく暮し、此節之天災天罰を見ながら畏も不致、餓死之貧人乞食をも敢而不救、其身ハ膏梁之味とて結構の物を食ひ、妾宅等へ入込、或ハ揚屋茶屋へ大名之家来を誘引参り、高価の酒を湯水を呑も同様ニいたし、此難渋之時節ニ絹服をまとひ候かわらものを妓女と共に迎へ、平生同様に遊楽に耽候ハ何等之事哉、紂王長夜の酒盛も同事、其所の奉行諸役人手ニ握居候政を以、右之もの共を取〆、下民を救候儀も難出来、日々堂島相場斗をいじり事いたし、実に禄盜ニて決而天道聖人之御心ニ難叶、御赦しなき事に候」とあるに対しては、当時の有司豪商当に弁解の辞無かるべし、 |
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遂 に 意 を 決 し て 兵 を 挙 げ ん と す |
是に於てか已に新奉行の施設に飽かざりし平八郎は、之未曾有の天災に対する官私の施設宜しきに適せざるを見、「蟄居の我等最早堪忍難成、湯武の勢孔孟之徳はなけれ共、無據天下のためと存、血族の禍をおかし、此度有志之もの共申合、下民を悩し苦メ候諸役人を先誅伐いたし、引続き驕に長じ居候大坂市中金持之丁人共を誅戮し、其所蔵の金銀米銭を散布して貧民救済の本願を果さんと欲し、勃然として立てり。
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挙 兵 に 関 す る 伝 説 | 弟子東組与力同心の不安に対する同情と、町奉行并に富商豪家の挙作に対する不平とは、平八郎を駆りて暴動を敢てせしむるに至れり。或は平八郎格之助をして飢民賑恤を良弼に強諌せしむること再三なりしも用ゐられず、又鴻池屋善右衛門等十数名につき、救済の金を借らんことを求めて拒絶せられ、為に暴挙を速にせりといふものあれども、確証無きのみか、事実に遠し。恐らくは後人の附会ならん。 | |
平 八 郎 の 気 質 及 人 相 |
平八郎を目して癇癪の甚しき者なり、悍馬の如しといへる矢部定謙の評は甚だ当れり。
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