差出した
感謝の書
面
摺立残米
払下願
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召仕ある者への貸付米は、人別五人以上之者江弐俵、五人以下之者江壱
俵宛の割合を以て貸付られ、直段は金壱両付壱石の相場で十ケ年賦の取極
であつた。この下され、米並に貸付米の渡方は四月十六日より始まり、五
月廿二日迄かゝり、廿五日に小屋を取払つた。この件に付、人足賃小屋其
外の諸入用は世話方の者にて、冥加の為め取賄ふことにした。江尻宿・清
水町江渡方も粗これと同様であつた。
この救助のあつた為め、困窮の者の融通もつき、人気も大に緩和したか
ら、町中一同のものより左の書面を差出して感謝の意を述べた。
乍恐以書付奉申上候
天保五午年以来米価連々高直の処、別而昨年の儀は気候不順、雨天打ち
続き、五穀不熟故、諸国一般夫食払底にて、右価益々高直に相成、就中
町方工商の者ども、日々食料買上ケに差支、難渋仕候処、御憐愍を以て
当二月中御救米下し置かれ難有頂戴仕候。間も無く御願ケ間敷儀奉申
上候は、恐多き御事に奉存候。然る処町人とも家業不景気に罷成必至
と困窮仕、過半渡世出来かね、餓死致候外これ無くに付、恐を顧みず、
当三月中町方一統連印を以て、愁訴奉り候処、御出格の御慈愛を以て、
願意の趣、聞召し訳けさせられ、御府下人別男女七歳以上江多分の御救
米下し置かれ、且奉公人、召仕候者とも江、拝借米仰付られ、頂戴仕候
に付、既に餓死に及ぶべき族、露命相繋き、無事平安に罷過ぎ、最早国
中麦作取入の時節に相移り、追々融通家業出来仕るべくと、一同難有
仕合と存奉候。右御仁恵を蒙り、危難相凌候は全く御由緒の旧地に住
居仕候御蔭と、重々有り難く、子々孫々、永代忘却仕らず候様申し伝へ、
御国恩に報い奉るへく候。依之乍恐連印の書付を以て、奉拝謝候、
以上。
酉五月 町中総代 連印
同 町頭 連印
年行事 連印
御番所様
かくて八月に入り、諸相場は幾分下落したが、米穀は尚払底であつたか
ら、御救米世話方の者一同、並に年行事より摺立残米払下の候を出願した。
ところが此も早速御聞済になつて、米三百八十四俵余を当時の相場より格
別下直に払下げられ、町々江割賦し、難渋人の食料に充てることゝなつた。
速御聞済になつて、米三百八十四俵余を当時の相場より格別下直に払下げ
られ、町々江割賦し、難渋人の食料に充てることゝなつた。
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徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その22
夫食
(ぶじき ふじき)
農民の食糧
出格
(しゅっかく)
破格
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