Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.3.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


「天保の饑饉 大塩の乱」
その9

静岡市市史編纂課編

『静岡市史編纂資料 第3卷』
静岡市  1928 所収

◇禁転載◇

第一二章 天保の饑饉 大塩の乱 (9)管理人註

御救米渡
方世話係

 これより同四月十四日、本通弐丁目町頭源右衛門、七間町壱丁目町頭金 十郎、呉服町壱丁目友野与左衛門、四ツ足町足名屋幸三郎、同町西野屋半 兵衛、人宿町三丁目中島屋虎吉、呉服町四丁目植村屋忠右衛門、江尻町肴 屋平八、本通弐丁目桑名屋伝左衛門、江川町砂張屋孫右衛門、新谷町扇子 屋半兵衛、御台所町々頭又七、両替町壱丁目町頭善右衛門、人宿町三丁目 町頭宗蔵の十四人、御救米渡渡方等世話申付られた。清水湊御蔵場に於て は、御囲籾摺立に付、御用掛代官岸本武太夫出役、手代かはる/\詰合、 定廻り方日々見廻り、摺立人足凡二百人宛にて唐臼三十程にて摺立、俵に 仕立、毎日当所横内御門前の郷土蔵江、牛車にて運送し、御絵符には御用 御救米としるして之を立てた。此の時、安西の牛多く餓死して、牛数すく なく、間に合兼ねた故、揚土村まて小船にて運ひ、夫より地車で御蔵場へ 取寄せた。渡し方は横内御門前の御蔵場へ新に小屋を建て、頂戴人は右の 門より入り、左の門江出る様にし、玄関には町奉行の幕を張渡し、日々掛 りの役人が詰合つた。 此の時下された米は、男一人に付米七升宛、女一 人に付米五升宛の割を以て、前日番所に於て何屋誰何斗何升としるした切 手を渡され、切手頂戴の者は、町役人差添場所に往つて受取つた。渡し方 は到着順に壱町宛呼込み、世話方の者、之を取次ぎ役人方、切手改済の上、 壱人宛渡方計立場所へ通し、切手と引替に渡したのである。渡順は極難渋 の者を取調へ、先にすることゝし、百人火消東西南北の例にならひ、順次 に渡した。

徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その22


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