Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.3.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


「天保の饑饉 大塩の乱」
その13

静岡市市史編纂課編

『静岡市史編纂資料 第3卷』
静岡市  1928 所収

◇禁転載◇

第一二章 天保の饑饉 大塩の乱 (13)管理人註


辛丑雑記
の一節

 すべて飢饉には粗食の結果として、痢病・疫病等のともなふ者である。 されば飢ゑて死ぬるものゝ外に、病みて斃るゝもの多く、従つて酸鼻の状 を呈するに至るのである。花井有年の辛丑雑記に、当時の悲惨窮乏の有様 をこまかに書き述べた一篇の文があるから、こゝに附載する。但し打ちこ はしの年を六としたのは、七年の誤である。  天保四年、天保五年、この頃打ちつゞき、歳みのらず、こゝに至りて大  飢饉なり。天保六年、またみのらず、八月四日、うちこはしといへるこ  とあり。こは貧しき人、多く集りて、富める家の米貯へたるをうちやぶ  ることなり。甲斐の府中のは、人数多くいとおそろしく、榛原村のは、  人死もありけりとぞ。この時、米一升につき百五十文なりしが、八月十  五日、風雨にて、二百五十文となりける。天保七年も秋すくなくて、三  百文になりける。こゝに至りて饑て死するもの多く、そのゆゑに疫病流  行して、一統伝染しける。一日にこの町中にて五十人、死したる日もあ  りける。乞食となる人も多く、食を乞へとも、なか/\あたふるものな  ければ、餓死人多し。さきのほどは、御使などものして、厚く葬らせ  抔しけれども、後にはゆき倒れたるまゝにて、たれおさむるものなかり  ける。いづくにゆきても、死せる人のあらざる道なし。己なども饑つれ  ども、いまだ死には至らず。然れども後々はいかゞなるやらんと、いと  おそろしかりき。諸道具などうりしろなせど、買ふ人すくなく、やう/\  売りえたるも、いさゝかなる代にて、一合の価にもいたらず。薄き粥を  日々のみ、わづかに腹をうるほすのみなり。わらべなどこそ、いと/\  あはれになむ。かうやうの事は、世の物語にこそ聞き侍りつれ。かう目  の前に見もし聞もし、飢もしつるは、いと悩ましく、いとむねつぶれる  こ とになむ。かうやうの時は、互に用心しければ、つね心得たる人も、  しぞくともすくひくるるは無きものなり。さて人人病るは、初め身体や  せつまり、色は黄色になり、しばしゝて疥癬などでき、まなくうきはれ  て、死する事なり。こは薬石のすくふ病にあらず、米にあらずは、此の  病は治することあたはず。己れくすしの業はなしながら、手をこまぬき  て居るのみなりき。いと心苦しきことなむ。この時は稗粟などのみ食ひ  ければ、ふごつまりて悩みける人、いと多かり。己れ之に教へてひえあ  はなど食ふには、かならず青菜、木の芽などいれて食ふべし、かくすれ  ばふごつまることなし、人々かうやうにしければ、悩まざりける。かう  長き饑饉なれば、葛の根やまの芋・ところほくりなどは掘りつくしてけ  り。よもぎ・ちゝこなえのきの芽・たらの芽・うど・おほばこ・昆布・      キヨウフ  あらめ・法令など思ひ/\にとりて食ひける。後は彼岸花の根をも掘り  つくしける。天明の凶年には、かつを・いかなど多くとれけるとなむ。  今はかうやうの物までとれることなく、いとおぞましきことになむ。六  月は天気よく、暑気強く、作物はよろしきよし、いひあへれば、いきた  る心地して、よろこばしくは侍りつれど、餓ゑたる上に、此の暑にたへ  かね、しよ邪に打ち臥すもの多し。其の上疫病痢病しきりにはやり、み  まかるも多し。わらべなどはことに多し。いと恐ろしくて、悲しきこと                         うま  なりける。其節になりければ、田畑の作物、いまだ熟ざるをぬすみとり、  芋を掘り、茄子・南瓜・瓜・にいたるまで盗みける。すこともおこた  ることならずなむ。いとあさましき、はしたなきことゝは思ひながら、  みなうえたるからと、いと悲しかりき。米二百八十文、麦これに同し。  小豆・大豆・そらまめ・ふんとう・ひえ・あは・きび・大根・薩摩芋な  どにいたるまで、其のしろいと貴かりける。山中村はことに甚しく、む  らのとみになくなりける所もあり、さてかうやうの時は、人々おごれる  心は更々なし、金銀もちながら餓死たるもありける。天保八年四月二日  には、将軍家御代ゆづりありける。その五月に、清水湊御蔵ひらかせた  まひて、籾米をすらせ、御助米をくだしたまはる。七歳以上、男一人ま  へ九升、女一人に七升、富たるもの、召仕などあるは、五人以上のくら  しより二俵つゝ御かし米となしたまへり。すべて府中・丸子・清水・江  尻など御支配の人別、一万五千余人なりと。かう多くの者へ御助米くだ  さるは、まことにあり難きことになむありける。

徳富猪一郎
『近世日本国民史』
その22


花野井有年
花井有年
(はなのい ありとし) 
駿河府中の儒医

























































































(かき)


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