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のろし つもり
先づ合図の烽火の積であらう。我屋敷に放火し、それから手初に向側
おおづつ
の与力朝岡助之丞邸に大砲を打込み、組屋敷内を荒し廻りつゝ、天満筋
へ出て右へ曲り、左折して南同心町より天神橋筋へ抜け、それより又左
な
折し、其間至る処、大砲を打懸け、棒火矢を放ち、焙碌玉を擲げ散らし
て、歩くから皆火を発する、重立つものは抜身の槍、長刀を振廻し、迷
らつ ありあはせ
へる群衆を拉して味方に引入れ、従はずば殺すとて威嚇し、従へば有合
かつ
の脇差を与へ、荷物を担がせなどして、怒涛の如く推し進む、同勢加は
つて、彼是れ三百人ばかり、それより天満宮に沿うて進み、天神橋を渡
り掛けたが、早くも町奉行所の手が廻つて、其南端の橋板を取去つたか
よんどころ
ら、拠なく、右に折れて大川伝ひに西下し、難波橋に往くと、其処は恰
も町奉行の人足共が集つて、橋板取崩しに掛る所であつたから、唯一喝
に追払ひ、無事に之を渡つて、左に折れて、今橋通に出で、堺筋に至る
たゞち
と二手に分れ、一手は其儘推し進み、一手は堺筋を南に少し下り、直に
左に高麗橋に折れて進んだ、此処ぞ大塩党等の日頃の仇敵とも狙ひ居る
富豪町の北船場で、今橋筋では、鴻池屋善右衛門、鴻池屋庄兵衛、鴻池
屋善五郎等の鴻池の一党を初め、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、高麗
橋筋では、三井呉服店、岩城屋升屋等、皆此処に巨館を構へて居たが、
大塩党は当るを幸ひ、此等の家々を尽く破壊し廻れば、附き従ふ群集等
は、宝の山に登つた思ひで、勝手に掠奪する、鴻池屋庄右衛門の如きは、
四万両も奪はれたといふ様な噂も伝はる程であつた。二手は散々に荒れ
廻つて、一方は今橋を、一方は高麗橋を渡つて、遂に東横堀川を東に越
がつ
したが、討手の影だに見えぬので、二手は又合して、共に川伝ひに南に
下り、此処でも亦内平野町の米屋平右衛門、米屋長兵衛等、所謂米屋の
一党を焼払つて進んだ。
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庄右衛門は
善右衛門か
『浮世の有様』
「熊見六竹が筆記」
その1
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