Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.3.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その103

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十四、一敗地に塗る (1) 管理人註
   

      のろし  つもり  先づ合図の烽火の積であらう。我屋敷に放火し、それから手初に向側           おおづつ の与力朝岡助之丞邸に大砲を打込み、組屋敷内を荒し廻りつゝ、天満筋 へ出て右へ曲り、左折して南同心町より天神橋筋へ抜け、それより又左                             折し、其間至る処、大砲を打懸け、棒火矢を放ち、焙碌玉を擲げ散らし て、歩くから皆火を発する、重立つものは抜身の槍、長刀を振廻し、迷      らつ                        ありあはせ へる群衆を拉して味方に引入れ、従はずば殺すとて威嚇し、従へば有合           かつ の脇差を与へ、荷物を担がせなどして、怒涛の如く推し進む、同勢加は つて、彼是れ三百人ばかり、それより天満宮に沿うて進み、天神橋を渡 り掛けたが、早くも町奉行所の手が廻つて、其南端の橋板を取去つたか   よんどころ ら、拠なく、右に折れて大川伝ひに西下し、難波橋に往くと、其処は恰 も町奉行の人足共が集つて、橋板取崩しに掛る所であつたから、唯一喝 に追払ひ、無事に之を渡つて、左に折れて、今橋通に出で、堺筋に至る                               たゞち と二手に分れ、一手は其儘推し進み、一手は堺筋を南に少し下り、直に 左に高麗橋に折れて進んだ、此処ぞ大塩党等の日頃の仇敵とも狙ひ居る 富豪町の北船場で、今橋筋では、鴻池屋善右衛門、鴻池屋庄兵衛、鴻池 屋善五郎等の鴻池の一党を初め、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛、高麗 橋筋では、三井呉服店、岩城屋升屋等、皆此処に巨館を構へて居たが、 大塩党は当るを幸ひ、此等の家々を尽く破壊し廻れば、附き従ふ群集等 は、宝の山に登つた思ひで、勝手に掠奪する、鴻池屋庄右衛門の如きは、 四万両も奪はれたといふ様な噂も伝はる程であつた。二手は散々に荒れ 廻つて、一方は今橋を、一方は高麗橋を渡つて、遂に東横堀川を東に越                     がつ したが、討手の影だに見えぬので、二手は又合して、共に川伝ひに南に 下り、此処でも亦内平野町の米屋平右衛門、米屋長兵衛等、所謂米屋の 一党を焼払つて進んだ。

庄右衛門は
善右衛門か

『浮世の有様』
「熊見六竹が筆記」
その1








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