Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.4.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その123

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十七、交友と著述 (5) 管理人註
   

又平八郎が儒門空虚聚語の草稿を一斎に示し、且つ大学刮目の序を請ふ た時の返書には、下の如きものがある。是に依ると、平八郎より、多少 一斎の腑甲斐無きを慨し、前便に其意を申送つた事の様に察せられる。 即ち『御紙上嫌疑など御避被成候義更無之と被仰越候処、畢竟自信     しんじ                       よし 明白之御心事故、左様も可之哉、愚意には全く避嫌無之を可トモ 不存候、尤利害経営之念頭より起り候嫌疑は私心にして云ふに足ら ず候得共、季世に処し候には多少之周旋を加へ不申候ては、物事完成 不致候事計り多有之哉と存候、左候へば避嫌も亦敬慎之事歟と被存 候、如何可之哉、尚致折中候』といつて居るが、『季世に処し候 には、多少之周旋を加へ不申候ては云々』といふ如き、如何にも老成                   からくり の修辞の中に、彼の歯切れの悪い胸中の機関を呈露して居る。更に次の                      あさま 文句を見ると、其心底が具体的に立証されて、浅猿しい感じがする。 『高著大学刮目、品により拙序をも御加被成度等之御紙上承知仕候、 兼てより高著承及申候事故、いつぞ拝見仕度渇望に堪ず候、然処、拙 序之義は御無用被下度候、仔細は高著未一覧候得共、必定愚意に も符し可申か、善き事は善しと申さねば不相成候、然処拙老事、御         うよく 承知之通、林家を羽翼いたし候場所に居候へば、所謂避嫌許多有之候、 自分之事は兎も角もに候得共、林家之学と異同を立候様に相成、林氏之 為に不宜候間、上木ものなどに姚学めきたる事は致遠慮候、尤自己限 り之私淑、心身実事其趣ありと申すは、畢竟人々之得力処には、何之嫌 疑無之候得共、公然と難唱次第有之候、依ては拙序甚六ケ敷に付き、 兼て及御断申候云々』とあるのがそれだ、少しも自信に依つて立つ所     ひたす が無く、一向ら境遇の奴隷となつて引き廻されやうとする。所謂時と 俯仰せんとのみ欲する、彼のさもしい心境が浄玻璃の表にあり/\と映 出されて居る、善き事は善しと申さねば相成らぬが、林家を羽翼して居 るから云々、而かも自己一身の利害得失とも明白地に語り兼ねるかして、 『自分の事は兎も角もに候得共、林家之学と異同を立候様に相成、林氏 之為に不宜候間、上木ものなどに云々』と腹には自己の利害を打算し       せ い 乍ら、人の所為にして遁げを張る所などは、醜陋の極と思ふ。彼は善き 事は善しとして、自己の立脚地を定め、それを守つて毅然として動かぬ 事が出来ぬのであるか、苟も心に是ぞと打込んで信ずる点があるならば、            そもそ 林家の学などといふ事は抑も末である。林家の学に合はぬならば、思ひ 切つて林家の学を棄つ可きである。若し又平八郎の説の如く、朱王同軌 と見るならば、中には陽明の説を交へて経義を説くとも、何の憚る所が        かく あるか、而かも此の如き公明なる態度を容れ得ぬ程に、当時の官学が下 らぬ者であるならば、何すれぞ禄仕を罷めて野に放浪し、一身の繋縛を              ママ 解いて帷を街頭に垂れざる。理窟は明白であるけれども、気骨あるもの でなくては、之を断行し得ぬ、而して一斎には遂に此気骨を見出し得な かつた、是に至れば、一斎は口に姚江の学に私淑するといふとも、到底             ママ 正直な平八郎の一筋に知行同一を心掛けるものとは、其胸臆の隔り千万 里と言ふべく、然らば一斎も亦、決して平八郎の知己では無かつた。



幸田成友
『大塩平八郎』
その176









































浄玻璃
曇りなく透き
通った水晶ま
たはガラス


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