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又平八郎が儒門空虚聚語の草稿を一斎に示し、且つ大学刮目の序を請ふ
た時の返書には、下の如きものがある。是に依ると、平八郎より、多少
一斎の腑甲斐無きを慨し、前便に其意を申送つた事の様に察せられる。
即ち『御紙上嫌疑など御避被成候義更無之と被仰越候処、畢竟自信
しんじ よし
明白之御心事故、左様も可有之哉、愚意には全く避嫌無之を可トモ
不被存候、尤利害経営之念頭より起り候嫌疑は私心にして云ふに足ら
ず候得共、季世に処し候には多少之周旋を加へ不申候ては、物事完成
不致候事計り多有之哉と存候、左候へば避嫌も亦敬慎之事歟と被存
候、如何可有之哉、尚致折中候』といつて居るが、『季世に処し候
には、多少之周旋を加へ不申候ては云々』といふ如き、如何にも老成
からくり
の修辞の中に、彼の歯切れの悪い胸中の機関を呈露して居る。更に次の
あさま
文句を見ると、其心底が具体的に立証されて、浅猿しい感じがする。
『高著大学刮目、品により拙序をも御加被成度等之御紙上承知仕候、
兼てより高著承及申候事故、いつぞ拝見仕度渇望に堪ず候、然処、拙
序之義は御無用被下度候、仔細は高著未経一覧候得共、必定愚意に
も符し可申か、善き事は善しと申さねば不相成候、然処拙老事、御
うよく
承知之通、林家を羽翼いたし候場所に居候へば、所謂避嫌許多有之候、
自分之事は兎も角もに候得共、林家之学と異同を立候様に相成、林氏之
為に不宜候間、上木ものなどに姚学めきたる事は致遠慮候、尤自己限
り之私淑、心身実事其趣ありと申すは、畢竟人々之得力処には、何之嫌
疑無之候得共、公然と難唱次第有之候、依ては拙序甚六ケ敷に付き、
兼て及御断申候云々』とあるのがそれだ、少しも自信に依つて立つ所
ひたす
が無く、一向ら境遇の奴隷となつて引き廻されやうとする。所謂時と
俯仰せんとのみ欲する、彼のさもしい心境が浄玻璃の表にあり/\と映
出されて居る、善き事は善しと申さねば相成らぬが、林家を羽翼して居
るから云々、而かも自己一身の利害得失とも明白地に語り兼ねるかして、
『自分の事は兎も角もに候得共、林家之学と異同を立候様に相成、林氏
之為に不宜候間、上木ものなどに云々』と腹には自己の利害を打算し
せ い
乍ら、人の所為にして遁げを張る所などは、醜陋の極と思ふ。彼は善き
事は善しとして、自己の立脚地を定め、それを守つて毅然として動かぬ
事が出来ぬのであるか、苟も心に是ぞと打込んで信ずる点があるならば、
そもそ
林家の学などといふ事は抑も末である。林家の学に合はぬならば、思ひ
切つて林家の学を棄つ可きである。若し又平八郎の説の如く、朱王同軌
と見るならば、中には陽明の説を交へて経義を説くとも、何の憚る所が
かく
あるか、而かも此の如き公明なる態度を容れ得ぬ程に、当時の官学が下
らぬ者であるならば、何すれぞ禄仕を罷めて野に放浪し、一身の繋縛を
ゐ ママ
解いて帷を街頭に垂れざる。理窟は明白であるけれども、気骨あるもの
でなくては、之を断行し得ぬ、而して一斎には遂に此気骨を見出し得な
かつた、是に至れば、一斎は口に姚江の学に私淑するといふとも、到底
ママ
正直な平八郎の一筋に知行同一を心掛けるものとは、其胸臆の隔り千万
里と言ふべく、然らば一斎も亦、決して平八郎の知己では無かつた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その176
浄玻璃
曇りなく透き
通った水晶ま
たはガラス
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