Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.11.17

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その25

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

四、悪貨幣の濫造 (4) 管理人註
   

                            あきらか  是に於て古金銀を政府の手に回収し、之を改鋳することは、明に数の     ないど                     さ う 上に於て内帑を富ますものに相違ない。けれども表面には左様言へない。 何処迄も古い貨幣は最早や磨滅、欠損、或は錆び、或は極印が分り兼ね                にく るからとか、或は重過ぎて通用し悪いからとか、色々の口実を設けたも            しきり ので、斯うして幕府では頻に民間に散布し居る古金銀の回収に勉めたが、 民間では容易に手離すを欲せぬ。其間の消息が幕府の幾十回となき慰諭                 もんじ 的、威嚇的、若しくは誘惑的の触の文字に窺はれる。即ち文政二年九月 には「引替に可差出小判、一分判共員数相知れ候事に候間貯置不申、 段々引替可申候、若し貯置引替ざるもの相知れ候はゞ、吟味之上急度       なをざり 可申付事」同四年四月には「前略、銘々引替方等閑に致候ては金吹直 之仰出候御趣意之程難貫候に付、町人共有来り金所持之分は不貯置、 去々卯之年御触之通、後藤三右衛門其外引替御用相勤候もの共方へ差出、 早々引替可申候、町人身元之儀は夫々風聞も相聴候に付、此上引替方 等閑之儀も有之候はゞ、別段可取調候、勿論此度引替渡し候分は 夫々名前書出し候通可取計候、一銀之儀も去る辰年吹直し被仰付、 追て新銀引替に罷成候処、是又近頃引替方相減候に付、前書同様相心得 云々」とあり、同年五月には「(前略)追て古金銀は通用停止可仰 出候間、其旨兼て相心得、不貯置此節精出し引替可申候事。一、江 戸大阪之国々より相廻し候諸商売物払代、古金銀を以て請取度旨相届候            わざ\/ 荷主も有之由相聞候、態々新金銀に引替可申処、右之次第不埒に候、 江戸、京、大阪其外引替所相立有之場所より他国には新金銀を以て可 相渡事に候間、無差滞取引可致候云々」とあり、威圧的の文字が遂 には吃驚憤怒の文字と為り居るを見るべく、而かも当時の民情が如何に 新貨を喜ばずして旧貨を愛したるかは、「古金銀を以て請取度旨荷主よ り云々」の文字の上に歴々として居る。




内帑
君主所蔵の財
貨を入れてお
く蔵
















徳富猪一郎
『近世日本国民史
文政天保時代』
その7







辰年
文政三年


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その24/その26

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