Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.11.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その26

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

四、悪貨幣の濫造 (5) 管理人註
   

 文政七年の三月には又「引替弐朱判之儀は、焼弐朱判、並極印相分兼 候分共差出次第引替可遣候條云々」「引替可差出弐朱判員数相知候 事に候間、貯置不申、段々引替可申候、若貯置不引替者相知候はば、 吟味之上、急度可申付候事」「金銀吹直に付、古金銀通用之儀、来酉 二月迄之内、只今迄之通、新金銀と一様に可通用候、其以後は、 古金銀停止たるべく候間、古金銀所持之者は、無油断早々引替可申 候、尤御料は御代官、私領は領主地頭より申付、遠国に至るまで、不 残様に引替させ可申候、若遠国並渡海等にて、引替方不都合之場所は、 御代官、領主、地頭にて御世話いたし、最寄引替所へ為差出候様可 致候」との布令も出て居るが、如何に慰諭し、如何に威嚇しても効力が                あきらか 無かつたといふ事は、次の布令で明に知れ、今度は少しく態度を変へて 誘惑的になつて居る所に一種の滑稽味が加はつて居る。即ち文政七年七                           みちのり 月には「古金銀引替之儀、国々之内には、最寄引替所迄、道法相隔り候              わざ/\ 場所も有之、又は遠国より態々金銀座え持越、引替候者も有之候処、 右体遠路之処、一度に金銀高多く差出候ては、道中持送之入用相懸候に           みはからひ いくたび 付、おのづから金銀高見計、幾度にも差出候様可相成候、古金銀通用 之儀、先追て相触れ候通、来酉二月迄にて、停止之事に候得ば、向後古 金銀差出候ものは住所より、金銀座並其最寄引替所へ道法五里余相隔、 金銀高一度に金五百両、銀は拾貫目以上差出候者へは、里数一里往返分         ふん 金百両に付、銀五分づゝ、銀壱貫目に付銀三分宛之割合を以、里数金銀 高に応じ、諸入用被下候筈に候間、御料は御代官、私領は領主地頭に て、右諸入用相願候者取調、江戸金座、銀座へ申立候様可致候、若当 人又は其身寄を以て、直に金銀座へ申立度旨申候はゞ、其通相致候ても 不苦候間、いづれにも厚く世話致し、古金銀所持のものは、早々為引 替候様可致候。」とある。屹度申付くべしとか、別段取調に及ぶべし とか、数が知れて居るとか、色々に威嚇してから已に五六年を経過した                   あたか 当時に於て、今度は諸人用下され云々、宛も振上げて見せた鉄拳を開い てのひら な               いくばく て掌で摩でる様な態度に変じたが、それが幾干の効力があつたかは更に 次の翌八酉の年十二月の布令で分る。即ち「古金銀通用之儀、当二月を 限り候様にと去三月相触候処、今以て古金銀引替残有之候趣に候、遠 国等いまだ不行届候哉に付、古金銀引替之儀、当酉年七月を限り、不 残引替可申候、尤遠国之分は去る閏八月相触候通、引替之金銀高、並 道法遠近に応じ、道中入用も被下候事候得ば(中略)当酉年八月より 古金銀通用停止たるべく候間、無油断引替に差出可申候、尤停止以 後通用いたし候者於有之は急度可申付候、」とある。ところが此当        ど う 酉年七月には如何であつたか。即ち其八月の前月七月には又触が出て               いよ/\ 「古金銀通用之儀、当八月より弥停止たるべく候間、無油断引替に 差出可申、当二月相触候処、今以引替残有之趣に付、猶又来戌年二 月迄、是迄之通、古金銀通用致し、三月より停止たるべく候云々」、 ところが其戌九年二月に来る亥年二月迄延期と触れ、尚ほ念入にも其 十二月には「当二月相触候通、来亥年二月より、弥々通用停止候間、停 止以後、堅く通用いたす間敷候事」「(前略)若停止以後古金銀通用致 候歟、又は古金銀貯置、不引替もの於之は、吟味之上、急度可 申付事」と触れるといふ有様、本来民心は便利に就くもの、即ち都合 が好くて利益さへあるならば令せずとも行はるる事、猶ほ水の低きに就 くが如きものある筈であるのに、其然らざる処に悪貨幣の性質が明瞭で あるが、忠成は官権を笠に着て兎に角も之を強行した。



徳富猪一郎
『近世日本国民史
文政天保時代』
その8


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その25/その27

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