Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.12.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その51

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

八、所謂三大功績 (1) 管理人註
   

 第一は、文政十年四月に起り、三年の後に漸く落着した耶蘇教徒逮捕 一件であつた。凡そ如何なる時代の如何なる宗教でも、其伝播の勢燎原 の火の如く急であるならば、それは必ず現生の福祥繁栄の上に働く大な る奇跡的のものを持たなければならぬといふ、殆ど必然的約束がある。 即ち迷信には相違ないが、是が迷信である事によつて其処に其宗教の感 化力の偉大がある。それ故多くの宗教が、初は迷信で生れても、其論理 的存在の必要から、次第に向上して進歩せる哲理を有するに至るけれど も、而かも其勢力の現在に大なる所以は、其哲理に因るよりも、常に最 初に示された迷信的魅力である事を忘れてはならぬ。基督教でも、真に                                いく 宗教哲学的に神とは何ぞや、その問題を解決し得て、之を信ずる者が幾 ばく 干あるか。有るを否定せぬけれども、全体の数の上よりそれは極めて少 数であつて、矢張り基督の興るや、其信者には、最も先づ衆俗の眼を引                            こころみ く其多くの奇蹟の力の信者がが多数でつたあらう。仏教でも試に真言に 就いていふならば、其拠る所の華厳哲学を体認し、両部曼荼羅説を了会 し得て、然る後に之を信ずるものが幾干あるか、有るを否定せぬけれど           も、是は更に極めて少数であつて、矢張り初より彼等の引かれて来た加    まじなひ 持祈祷禁厭の御利益の有難さを慕ふ者の方が多数であらう。換言すれば、 世の多くの宗教なるものは、唯推理的に迫害し来る教敵を防がん為に、 哲理といふ一口の利剣を振り舞はしつゝ、迷信てふ密乳の壺を持廻つて                     わかり 其甘味に御信心の蟻を集め歩くと見るが一番諒解が早い。勿論真面目に 考へるなら、其幽玄なる哲理の方が本尊であつて、現世利益などといふ              おまへだち 方は其本尊の後光、若しくは御前立と見るべきであらうが、低級なるも のは御前立を拝んで、それが即御本尊だと思ひ込んで仕舞ふ、其処で衆 俗の宗教選択の標準は、常に現世利益である。一口に昔々と罵る訳にい           おんでん かぬ。天理教や、青山隠田の行者や、池袋の神様の跋扈する現代人から は余り口幅つたい事は申されぬ筈だ。茲に語る耶蘇教徒逮捕事件なる其 「耶蘇教」なる文字も、是丈の意味に解して置かぬと随分当時の裁判に 失当の嫌ありとする疑も起らう、それ故先づ冒頭に斯う断つて置く。



幸田成友
『大塩平八郎』
その30






































御前立
仏堂で、本尊の
前に別に安置し
て、諸人に礼拝
させる仏像

青山隠田の行者
飯野吉三郎は、
明治から大正に
かけて東京青山
の穏田に1000坪
の土地を購入し
新興宗教団体
「大日本精神団」
を設立。住居か
ら「穏田の神様」
「穏田の行者」
とも呼ばれる。
日本のラスプー
チン


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