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現に御池通四丁目播磨屋利八が、留守中に持つて来た肴を其町年寄に
迄戻して向後を戒めた事は次の書面によつて明瞭に知れる。
此肴を播磨屋利八と申ものより、此方留守中持参、さし置き帰侯、不
埒之事に候へ共、不弁故之儀と被推候間、町内へさし戻し遣し候條、
心得違無之様申渡し可申置、此度は内分にて右様取計遣し候事
大塩平八郎
御池通四丁目
年寄へ
さなが
此様な事は久しい間の彼等の習慣を破つた事とて、宛ら暗室に投ぜ
みは
られた夜光の明殊を見たる如く、相伝へて驚異の眼を瞠つた事と想ふ。
其他紀州藩と岸和田藩との境界論を判決し、紀州の権威に屈せず、論
どんらん じやうども
理上当然の帰結として其方を非理と宣言したとか、貪婪飽くなき常供
かざ
某が官権を翳して高利の貸金をする由を聞き、無用の金百両を借りて、
ことさ あやま
封の儘に差置き、故らに期限を愆つて督促火の如く急なるを待ち、封
ぬ
金に利息を添へて出し、刀を抽いてさあ其方の首と引換に此金子を渡
す、不埒至極な奴とて懲し、将来を戒めて放還したとか。高槻の或る
か
旧家から正宗の銘刀を購つた時、高井山城守が平八郎を戒めて、是は
王公の帯すべきものであるといつたに対し、拙者微賤乍らも捕盗糾察
の職に居る以上は、宝刀を帯ぶるも緩急の用に備ふる為だといつたと
かいふ伝説はまだ沢山あるが、左迄にもとて此には省く。併し当時是
が為に名声一時に三都に振ひ、天下をして大阪に大塩平八郎あるを知
らしめた彼の三大功績のみは其大筋丈も此処に説き置かぬ訳に行かぬ。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その15
幸田成友
『大塩平八郎』
その16
幸田成友
『大塩平八郎』
その17
幸田成友
『大塩平八郎』
その19
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