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最後に今一つ思ひ合はす事は、彼が最も親信して「我を知る者は山陽
し
に若く無し」といつて居た其山陽が、平八郎の留守の書斎に入つて其壁
きしん
上に貼り附けて去つた詩中に、規箴の意を寓して、最後に曰ふには、
ラ ラ ムニ ダ ル スルヲ ヲ ル ニ ニ セヨ ヲ テ ヲ
「功労拙逸不足異、但恐折傷利器。祈君善刀時蔵之。留詩
リ ニ ク ヨ はたらき
在壁君且視。」と、是は即ち「働の有るものは骨を折り、不器用な者
こ
がフラ/\して居るのは不思議の無い事つた。が唯折角の業物をポツキ
リ折る様な事が有りはせまいか。君に願ふがね、善い刀は時に大切に仕
舞ひ置くが宜しい。詩を残して壁に貼つて置くから、君まア一寸見て呉
あだや しよつちう
れ玉へ」といふ意味だが、決して是は的無きに放つた空矢で無く、初中
終平八郎から内分話を聞いても居る。多分其朝平八郎の出仕前に暫く語
かた/゛\
り合つた際にも、何ん等か例の気掛りな話もあり、旁で此詩を見せたも
のかと想ふ。されば平八郎退隠の報を得た時には、心から之を喜んだも
ゆ
のは、山陽であつたらう。彼は平八郎の尾張に適くを送る序中に、此心
事を洩して斯う綴つて居る。「功名富貴を喜ぶ者に非ず、喜ぶ所は、間
に処して、書を読むに在り、吾嘗て其精明を過用し、鋭進折れ易きを戒
む、子起深く之を納る、而かも已むを得ずして起つ、国家の為に奮つて
いづ きふぞく
自ら身を顧みざるのみ、然らずんば安くんぞ壮強の年、衆望翕属の時に
あた
方つて権勢を奪ひ去り、毫も顧恋無き哉云々」と、而して最後に「且つ
あらかじ こう くわん
預め其に就きに就く勿からん事を嘱す」の一句を添へてあるが、之
に対して平八郎自身も大に此山陽の言を喜び、「余を戒むるに再びと
とに就かざるを以てす、即ち亦其識の大略を見る可し」といつて居る。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その38
幸田成友
『大塩平八郎』
その173
翕
「糾」の意
ほだし、
馬の足などを
つなぐこと、
またはその縄
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