Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.1.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その64

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

九、退隠と其後の生活 (4) 管理人註
   

 最後に今一つ思ひ合はす事は、彼が最も親信して「我を知る者は山陽   に若く無し」といつて居た其山陽が、平八郎の留守の書斎に入つて其壁                きしん 上に貼り附けて去つた詩中に、規箴の意を寓して、最後に曰ふには、       ラ ラ ムニ ダ ル   スルヲ ヲ  ル ニ   ニ セヨ ヲ  テ ヲ 「功労拙逸不異、但恐傷利器。祈君善刀時蔵之。留詩 リ ニ  ク ヨ         はたらき壁君且視。」と、是は即ち「働の有るものは骨を折り、不器用な者                   がフラ/\して居るのは不思議の無い事つた。が唯折角の業物をポツキ リ折る様な事が有りはせまいか。君に願ふがね、善い刀は時に大切に仕 舞ひ置くが宜しい。詩を残して壁に貼つて置くから、君まア一寸見て呉                         あだや       しよつちう れ玉へ」といふ意味だが、決して是は的無きに放つた空矢で無く、初中 終平八郎から内分話を聞いても居る。多分其朝平八郎の出仕前に暫く語                       かた/゛\ り合つた際にも、何ん等か例の気掛りな話もあり、旁で此詩を見せたも のかと想ふ。されば平八郎退隠の報を得た時には、心から之を喜んだも                       のは、山陽であつたらう。彼は平八郎の尾張に適くを送る序中に、此心 事を洩して斯う綴つて居る。「功名富貴を喜ぶ者に非ず、喜ぶ所は、間 に処して、書を読むに在り、吾嘗て其精明を過用し、鋭進折れ易きを戒 む、子起深く之を納る、而かも已むを得ずして起つ、国家の為に奮つて                 いづ          きふぞく 自ら身を顧みざるのみ、然らずんば安くんぞ壮強の年、衆望翕属の時に あた 方つて権勢を奪ひ去り、毫も顧恋無き哉云々」と、而して最後に「且つ あらかじ  こう    くわん 預め其に就きに就く勿からん事を嘱す」の一句を添へてあるが、之 に対して平八郎自身も大に此山陽の言を喜び、「余を戒むるに再びとに就かざるを以てす、即ち亦其識の大略を見る可し」といつて居る。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その38






















幸田成友
『大塩平八郎』
 その173








「糾」の意


ほだし、
馬の足などを
つなぐこと、
またはその縄


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その63/その65

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