Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.1.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その65

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

九、退隠と其後の生活 (5) 管理人註
   

両対比して来れば、正に秦鏡の相照すが如く、其間に平八郎退隠の真情 が髣髴し来るでないか。即ち高井山城守の知遇を感じて、進退の節を合             さうそく はすといふ真因と、殆んど相即不離の関係を成して、彼が盛名の下に久 しく居り難き、余程の内情の存在した事が、其退隠の大なる副因で有つ たのでなからうか、勿論其為め彼が不承不承に散地に就いたとは思はぬ。 彼は其志を洗心洞刷記に述べて、斯の如にいつて居る、「吾既に職を辞                              して隠に甘んじ、険を脱して安に就く、宜しく高臥して労苦を舎て、以  じしやう           お  おそ  い     みが て自性を楽む可し、然るに夙に興き夜く寝ね、経籍を研き、生徒に授く                        のり る者は何ぞや、此は是れ事を好むならず、是れ口を糊するならず、詩文 の為ならず、博識の為ならず、又大に声誉を求めんと欲するならず、再                      あ         をし    う び世に用ひられんと欲するならず、只学んで厭かず、人を誨へて倦まざ   ちんせき          あや   なか るの陳迹を扮得する而已、世人恠しむ莫れ、又罪する莫れ。鳴呼心大虚                        のみ に帰するの願、誰か之を知らんや、我独り自ら知る耳」と、大に声誉を 求むるのでもなければ、又再び用ひられんと欲するでもない。只学んで あ         をし    う 厭かず、人に誨へて僊まざる、といふ古人の為した跡を真似て行くだけ       あやし         ことば の事だ、世人恠む勿れといつて居る此語は、予は此儘に受取つて差支あ るまいと思ふもので、従つて黙坐読書して、沈思潜考する趣味の存在が、     かとん 更に彼の嘉遯の志を助けた動力でもあつたらうと信ずる。彼の招隠の短 篇に        メテ ニ     リ  ニ  カ ラン ダ シカラ ノ ニ  昨夜閑窓夢始静。今朝心地似僊家。誰知 未素交者。        ノ             ザルヲ  秋菊東籬潔白花。 嗚呼、当時彼を知る者は、山陽と、而して此秋菊東籬潔白の花位の者で あつたらう。           菊を東籬の下に栽ゑ、悠然として南山を見る陶淵明の雅懐は、平八郎                             げつべつ も十分理解し得、憧憬した所であらうが、併し天賦の性格には月鼈の差 あり、彼には何としても江海の大魚の如き従容自適の趣が欠け、早瀬を                              走る小鮎の如く、濁流一縷面に触るれば、直に背鰭を振つて一駛し去る                                てう 様な、気局の小さく見える所がある。其情性は純真であり、其気格は超 まい                せうれんもの 邁であつたらうけれども、何処となく小廉物に拘はり過ぎる性分に想像 される。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その54

相即不離
互いに密接に関
係していて切り
離すことができ
ないこと

散地
ひまな地位、
権勢のない地位

『洗心洞箚記』
その44

自性
本来の性質、
本性

声誉
よい評判、
ほまれ

陳迹
昔の事跡、古跡













石崎東国
『大塩平八郎伝』
その43

幸田成友
『大塩平八郎』
 その172







月鼈
月とすっぽん





超邁
他より非常に
すぐれている
こと


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その64/その66

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