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平八郎は「我学は大学、中庸、論語を治むるなり、大学、中庸、論語
は便ち是れ孔氏の書なり、孟子を治むるなり、孟子は便ち是れ孟氏の書
さくてい なづ
なり、而して六経、皆亦孔子刪定の書なり、故に強いて之を名けて、孔
孟学といふなり」といつて居るので、自らは敢て陽明学を標榜せず、又
孔孟学の三字を刻した印を使用して居つた。解する者あつて、是は或は
朱子学に対する遠慮からぢやないか、などといふけれども、予は之を採
らぬ。成る程異学の禁は有つたに相違ないが、官学以外には左程に厳重
に取締つたものと思はれず、何よりも証拠とすべきは、平八郎の旧儒門
空虚聚語の序文を佐藤一斎に請うた時の一斎の返事に、自分は官学に居
えうがく
るから、上木ものなどに姚学(陽明学)めきたる事は遠慮致すから、拙
序は御断りに及ぶが、「貴君に於ては少しも避嫌無之候間、公然と被
成候とも不苦事と存候、此任は貴君へ御譲申候事に御座候」とある事
いやしく
で、身苟も林家の股肱たり、幕府の為に其学館を預つて居るものの筆で、
如此に記す程の事情でないか、蓋し平八郎の考では、王陽明は孔孟以
せんめい
外に別に一新理を発見したものでなく、要するに孔孟の論旨の闡明に外
ならぬ。それ故に陽明学を奉ずる事は、即孔孟学を奉ずる事である。陽
こひねが
明の説を可也と見るも、我希ふ所は孔孟に在り、それ故陽明以外と雖も
げんし
苟も孔孟の玄旨に合致するものであるならば、我は固より之を採る。何
ぞ拘はるを要せんといふに在るであらう。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その186
刪定
(さんてい)
字句や文章など
の悪い所を削っ
てよいものにか
えること
幸田成友
『大塩平八郎』
その176
闡明
明瞭でなかった
道理や意義を明
らかにすること
玄旨
物事の奥深い
内容
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