Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その79

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十 陽明学と彼の所謂孔孟学 (9) 管理人註
   

 論者は又平八郎の帰太虚の説を非難し、其科学的智識の欠乏や、扨は 物質界の空虚と精神界の空虚とを同一視した事を挙げて、方寸の虚とは 物慾を払つた精神界の虚であるのに、之を物質界の身外の虚と相通ずる とは理解の欠けた話といふが、是は孰れも御尤もの事で、如何にも科学 的智識の幼稚な時代の彼の思想として、現代人の眼から厳密な批評の刃 を向けられたなら一たまりもないであらうが、併し是も平八郎の発明で はなく、公平に言へば、日本、支那を通じての古来の東洋思想に共有の ものであつたのだ。現に平八郎は老子を読んで居るので、箚記の開巻第               こくしん 一には「況んや老子の云ふ所の谷神をや」とも称して、老子の用語を引                用して居る位だが、其老子は、彼の著名なる虚無説を立証すべく、如何                   ハ ニス  ヲ  ツテ  ニ リ ノ  シテ なる説明を用ひて居るか、彼は「三十幅共一殻、当其無車用 ヲ テ ス ト  ツテ  ニ リ      ツテ  ヲ テ ス ト  ツテ  ニ リ 埴以為器,当其無器之用、鑿以為室,当其無室之    ニ   ハ ヲ   テ セバナリ ヲ 用、故有之為利無之以 為  用、」とあり、三十本の車の矢骨は一   こしき                       はたらき つの轂に集つて居るが、其中が空虚で軸の通り得る処に車の働がある。     粘土を捏ねて器物を作るが、其器物の内が空虚で、食物が盛れる処に器           まど うが         うち 物の働がある。戸口やを穿つて室を作るが、其中の空虚が太陽の光線 を通ずる処に室の働がある、それ故に、目に見える実有の者の役立つの は、目に見えぬ虚無の者の働くからであるとの意味を語つて居るが、此 最後の句に在る有と無とは、共に吾人の精神状態を説くもので、従つて 前の三種の物質と何等相渉る事無きは、了々たるものである。平八郎の 太虚の説明も亦、是と酷似するもの、然らば平八郎は誤れりとするも、 それは従犯とも目すべく、別に主犯がある。主犯を罪せずして、独り従 犯を罪するは法に於ても、失当であらう。



















『洗心洞箚記』
その2



『道徳経』


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その78/その80

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