Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.11

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その78

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十 陽明学と彼の所謂孔孟学 (8) 管理人註
   

                               はう  更に又彼は「躯殻外の虚は、便ち是天也、天とは我心也、心万有を葆 がん 含す、是に於て悟る可し、故に血気ある者は、草木瓦石に至る迄、其死                           を視、其摧折を視、其毀壊を視れば、吾心を感傷せしむ、本と心中の物 たるを以て也、若し先づ慾有つて心を塞がば、心虚に非ず、虚に非ざれ ば、頑然たる一小物にして、天体に非る也、便ち骨肉と既に分隔し了る。                        ことはり 何ぞ況んや其他をや、之を名けて小人と曰ふも、亦理ならずや」といつ て居るが、是は固より何等厳密なる認識論的根拠より出発して、万物は 皆、我心の所生なり、といふ様に論じたものでなく、単に我心は天と共 に虚なる者、万物は此虚の中に養はるるものであるから、即ち我心の内 の者だ、従つて我心は、天と其徳を同じうして万物の為に一喜一憂する                   こんにち ものだといふ位の思想の程度に止まり、今日の吾人の眼よりして見れば、          こと           はつらつ 甚だ幼稚を免れず、特に彼は雨余池満ち、一魚溌溂として、誤つて身を 地に投じ、展転反側して居る間に、蟻が既に攻め寄せた、之を気の毒に                         きよ/\ 思つて、蟻を追ひ散して、其魚を池に投じたら、魚は圉々洋々として、                 きぜん 身を水中に潜め去つた、それを見て喟然として嘆じ、「因つて遂に所謂 命数の命を心悟す」といつて居るので知れる如く、彼は一種の宿命を信 じて居たもので、論理的に究尽すれば、彼の心なるものは、未だ真の自 由を得ず、実在なる者から、束縛の縄を背後に着けられて居る者である けれども、兎に角、形の上から見れば頗るフイヒテの道徳的唯心論とも、   しんげ 或は心外無別法と叫ぶ、仏教の唯心論とも似通へる程に、立説の広大な           しんし  かつだい る点があつて、吾人の心志を豁大ならしむる者がある。唯それ其質に於 ては、固より相去る万里であるのは是非もない。




『洗心洞箚記』
その3


摧折
くじき折る
こと
















雨余
雨あがり


圉々
(ぎょぎょ)
あたかも疲れ
ているかのよ
うにのんびり
泳ぐさま

喟然
ため息をつく
さま

『洗心洞箚記』
その117






広々と開けて
いるさま


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