Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.2.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その84

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十一、其死生観 (3) 管理人註
   

              たいせつ  平八郎は此死生観に立脚し、大節に臨んでも奪はるべからざるの精神 を発揮して曰ふ、「生を求めて、以て仁を害する無かれ、夫れ生には滅                              あり、仁は太虚の徳にして、万古不滅の者也、万古不滅の者を舍てて、              まどひ 滅すること有る者を守るは、惑也、故に志士仁人は、彼を舍てて此を取 る、誠に理有る哉、常人の知る所に非る也」と、即ち滅する者を守つて 不滅の者を棄てるなと戒めた。彼は又聖人をば死生観に繋いで説いて曰 ふ、「常人は天地を視て無窮と為し、吾を視て暫と為す。故に欲を血気 さかん     たくまし         つとめ 壮なる時に逞うするを以て務と為すのみ、聖賢は独り天地を視て無窮と 為さず、吾を視るも亦、以て天地と為す、故に身の死を恨まず、而して 心の死を恨む、心死せずば、天地と無窮を争ふ。是故に一日を以て百年      りんこ             しゆゆ と為し、心凛乎として深淵に臨むが如し、須臾も放失せざる也。故に又                 じゆ 甞て物を以て意を移さず、欲を以て寿を引かず、要は人欲を去つて、天                          うつは 理を存せんと欲するのみ」と、是には聖人が肉体を以て器と為し、精神 を以て我と為すが故に、吾を観るも亦、天地と為す、従つて吾も亦、天 地と共に不滅なるが故に、其心、凛乎として物に奪はれぬ所以を述べて 居る。           ことば   こんじん  彼は又、更に朱子の語の「今人小小の利害に遇ふも、便ち趨避計較の        たうきよ        ていくわくのち 心を生ず、古人刀鋸前に在り、鼎後に在り、之を視る物無きが如き者、                     よ 只這の道理を見得し、那の刀鋸鼎を見ざるに縁る」といふを引いて、 朱子の行状と対録し、賞讃至らざるなき有様であるが、彼の喜ぶ所を以 て其志を察すべし、彼が如何に平生此死生観に没頭して、悟入の工夫を こら 凝したかを知るべく、而して此「刀鋸前に在り、鼎後に在り」の句は、             しん 暗に彼の他日の運命の為に讖を為したる者の観がある。彼が曾て江州小                        ふうたう 川村に藤樹の遺跡を訪うての帰るさ、琵琶湖上の大風濤に揉まれて、扁         きん  ほん 舟孤葉の如く、一掀一翻、船頭も已に助からずと覚悟して、一行に自己 あやまち の過に謝するといふ場合に、今ぞ天が予に修養の機を与へたのだと考へ                           たちどこ て、忽ち心頭に良知を喚び起した。すると憂悔危懼の念が立ろに消滅痕 無く、此より心は凝然として動かなかつたといふが、彼が死生観の上に 如何ばかり心を用ひたかといふ事は、是を以ても知れる。



大節
人の守るべき
大きな節操

『洗心洞箚記』
その13







『洗心洞箚記』
その133





凛乎
りりしく勇ま
しいさま

須臾
少しの間










『講学鞭策録』
『洗心洞箚記』
その282

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(けいこう)
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