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たいせつ
平八郎は此死生観に立脚し、大節に臨んでも奪はるべからざるの精神
を発揮して曰ふ、「生を求めて、以て仁を害する無かれ、夫れ生には滅
す
あり、仁は太虚の徳にして、万古不滅の者也、万古不滅の者を舍てて、
まどひ
滅すること有る者を守るは、惑也、故に志士仁人は、彼を舍てて此を取
る、誠に理有る哉、常人の知る所に非る也」と、即ち滅する者を守つて
不滅の者を棄てるなと戒めた。彼は又聖人をば死生観に繋いで説いて曰
ふ、「常人は天地を視て無窮と為し、吾を視て暫と為す。故に欲を血気
さかん たくまし つとめ
壮なる時に逞うするを以て務と為すのみ、聖賢は独り天地を視て無窮と
為さず、吾を視るも亦、以て天地と為す、故に身の死を恨まず、而して
心の死を恨む、心死せずば、天地と無窮を争ふ。是故に一日を以て百年
りんこ しゆゆ
と為し、心凛乎として深淵に臨むが如し、須臾も放失せざる也。故に又
じゆ
甞て物を以て意を移さず、欲を以て寿を引かず、要は人欲を去つて、天
うつは
理を存せんと欲するのみ」と、是には聖人が肉体を以て器と為し、精神
を以て我と為すが故に、吾を観るも亦、天地と為す、従つて吾も亦、天
地と共に不滅なるが故に、其心、凛乎として物に奪はれぬ所以を述べて
居る。
ことば こんじん
彼は又、更に朱子の語の「今人小小の利害に遇ふも、便ち趨避計較の
たうきよ ていくわくのち
心を生ず、古人刀鋸前に在り、鼎後に在り、之を視る物無きが如き者、
こ か よ
只這の道理を見得し、那の刀鋸鼎を見ざるに縁る」といふを引いて、
朱子の行状と対録し、賞讃至らざるなき有様であるが、彼の喜ぶ所を以
て其志を察すべし、彼が如何に平生此死生観に没頭して、悟入の工夫を
こら
凝したかを知るべく、而して此「刀鋸前に在り、鼎後に在り」の句は、
しん
暗に彼の他日の運命の為に讖を為したる者の観がある。彼が曾て江州小
ふうたう
川村に藤樹の遺跡を訪うての帰るさ、琵琶湖上の大風濤に揉まれて、扁
きん ほん
舟孤葉の如く、一掀一翻、船頭も已に助からずと覚悟して、一行に自己
あやまち
の過に謝するといふ場合に、今ぞ天が予に修養の機を与へたのだと考へ
たちどこ
て、忽ち心頭に良知を喚び起した。すると憂悔危懼の念が立ろに消滅痕
無く、此より心は凝然として動かなかつたといふが、彼が死生観の上に
如何ばかり心を用ひたかといふ事は、是を以ても知れる。
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大節
人の守るべき
大きな節操
『洗心洞箚記』
その13
『洗心洞箚記』
その133
凛乎
りりしく勇ま
しいさま
須臾
少しの間
『講学鞭策録』
『洗心洞箚記』
その282
計較
(けいこう)
比較してみる
こと
扁舟
小さい舟
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