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うち
此檄文の中にも『東照神君』の『仁政』を説き居るのみならず、彼が
しよかん
荻野四郎助に与ふる書柬の意味や、又自分の先祖波右衛門が家康より拝
領の御弓拝見にとて、名古屋の宗家迄遥々出掛けた胸中等を考へ合はす
ひ
と、彼は決して徳川家に弓を弯く量見のあつたものでない。又此檄文の
うち
中にも、幕政全般に触れた賄賂請謁等の弊を数へ立てて居るけれども、
どう
唯それ丈に止まり、其憤怒の集まる所は、如何見ても一に大阪町奉行の
政治に在る。即ち『何れの土地にても人民は徳川家御支配之ものに相違
なき処、如此隔を付候は、全く奉行等之不仁』といひ居る所に平八郎の
を
精神の所在を知る。已に一種の常套語たり居る『君側の姦を払ふ』とい
ふ位の意味を以て、彼は挙兵の企をしたに相違ない、けれども世の常の
抜目の無い功利的の眼からして、着実に見るならば、何人にも平八郎の
しる
此企の無謀の軽挙である事を知べきであるが、日頃怜悧な平八郎が、独
り之を予測し得なかつたであらうか、是に於て議するものは『平八郎近
かんがへ むし
頃乱心の体』などといふが、尋常の考からすれば、或は此評が寧ろ当然
もと
であらう。出来ぬ乍らも、勤王の大義の旗幟の下に、動揺せる天下の人
ばくち ゆ
心を率ゐて一博奕往かうといふならば、少くも彼れ自身の頭に丈は、成
功の日を夢み、自己の首の心配を忘れ得るかも知れぬけれども、徳川の
ほふ とゞ
天下を其儘にして、独り大阪の両町奉行を屠る丈に止めんとするならば、
あたか め ばくぜい
宛も牝獅子を撃つの勇なくして、独り其子獅子を奪ふ様なもので、搏噬
忽ち来り、万々助かる望はない。助かる望なくして、而かも立つたとす
みな
れば、彼は挙兵の当初からして、別に期する所があつたと見ければなら
さ う
なぬ。然り、予は全く左様であつたらうと想ふ。彼の志は、唯市民の積
怨を代表して、両町奉行の首を刎ね、豪商の富を散じ、而して其の結果
としては、一寸の虫にも五分の魂ある事を教へて、後の為政者を戒めや
うとした者であると思ふ。其心証ともす可きは、以前播州に百姓一揆の
あつた頃、同役其他懇意の者が集合の席で、其頭取の召捕余り延引する
由の話が出たところ、平八郎も居合はせて、『いや頭取の急に召捕に不
ひとしほ
相成も、一入御為に宜しかるべし、一体太平打続候故、天下一統奢侈増
長、役人ども奸曲の所行のみいたし、最早天道にも御用捨なき筈云々』
ことば
といつて居る語の示す余情である。換言すれば、彼の挙兵は、民衆の威
力を専政の官僚に示したものと見るべきである。
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「檄文」
(成正寺版)
幸田成友
『大塩平八郎』
その181
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