その10 石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885
◇禁転載◇
適宜、読点を入れ、改行しています。
○大塩平八郎が明智邪法を見顕す |
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豊田貢が門弟ども、京都ハ勿論、大坂にあって専ら邪宗を拡めけれバ、訳もなき俗民等ハ是に帰依して他を顧みず、宛然(さながら)生る神仏と敬ひ尊び入、来る者門前市をなしつゝも、其賑ひいふ斗りなし、 彼の平八郎ハ、此事を探り聞て、甚(いた)く怪しみ、彼正法に不思議ハなきに、是ハ不思議の事どもなりと、密に時の奉行なる高井山城守殿へ言上て、頓(やが)て、其身ハ町方の者に姿を窶(やつ)しつゝ京都へ到り、八坂なる豊田貢が家へ行き、貢に逢ふて仔細を咄し、只管(ひたすら)加持を頼みけるに、貢は早速承知して、頓(やが)て加持をぞ初めける、
平八郎は予てより心に一物あることなれバ、祈祷料等多分に寄附し、夫より毎日貢が家に到りて、渠(かれ)が法を修するを、心を附て窺ひ見るに、其怪しき事限りなけれバ、平八郎は、偖(さて)こそと、いよ\/心に油断なく、探り糺して居たりける、
貢ハ、斯る間諜者(まはしもの)とハ夢知らざれバ、好(よき)信者と平八郎が心を試すに、誠に帰依して宗門を慕ふ様子の見えけれバ、貢も今ハ心許して、種々に邪法を勧めなどし、彼天帝の画像を始め、切支丹の修法をば委しく教へ授けしかバ、平八郎ハ是を聞て、組同心へ差図なし、貢を即座に召捕つ、大坂表へ引連たり、
偖(さて)も老姨(らうば)ハ、獄中(ひとや)に有て、 我此宗門を拡めんと、年来心を砕きし甲斐なく、大塩平八郎に謀られて見顕されしこそ口惜けれ、
見よ\/汝平八郎、我怨念の其身に付添、遠からずして我如く、汝が身をも木の空に登せんもの、 と狂ひ罵る其様、何に譬へん様なく、最(いと)怖ろしき景色なりしと、
偖右一件の者どもを追々御吟味ありし処、逐一白状に及びしかバ、御法度厳しき邪法の宗門広めし段々、不届至極と、豊田貢は重罪なれバ、大坂一郷 *1 引廻しの上、磔の刑に行ハれ、其外宗門帰依の輩は夫々刑に行はる、
彼張本人水野軍記ハ、当時既に病死せしかど、張本人の廉(かど)をもて京都に於て葬りし墓地を毀(こぼ)ち、引出し遺骸(から)を肆(さら)しの其上にて、取捨られて、此一件渋滞(とゞこほり)なく落着せしかば、人皆平八郎か明智に感じ、舌を巻て称賛(ほめそや)せしとぞ、
此ハ是(これ)文政十二年の事なりける、