Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.3.7

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大塩の乱史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その9

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


 ○切支丹宗門水野軍記が事

(こゝ)に京都八坂上町に、肥前国唐津浪人の水野軍記といふ者あり、其家に稲荷明神を祭り置て、種々の奇法をなし、病気其外吉凶等の判断ハいふも更なり、

何事によらず、判断をなすに、恰(あたか)も響の音に応するが如くなりけれバ、諸人是を奇として群衆せり、

祭る処を後に尋ぬるに、彼(かの)御法度の切支丹の邪法を以てなすことゆゑ、何事も当らずといふ事なく、日々に繁昌なしにける、

爰に同所に、いと貧しく其日を送る八兵衛といふ者あり、夫婦の間(なか)至つて睦ましく、貧を苦にせず、倶(とも)稼して、細き煙りを立居しが、夫八兵衛ハ、近所の事とて、軍記方へ、折々ハ雇はれて出入しけるゆゑ、妻もまた常に入込て、手伝ひなどしけるに、或日稼にとて朝疾く夫八兵衛立出し侭、夜に入ても帰らざるに、妻ハ心も心ならず、夜の目も合さず待焦れしが、其翌日(あくるひ)に至りても帰り来らざるゆゑ、殊更に心配し、人を頼み、所々方々を尋ぬれど、更に行衛の知ざれば、妻の歎き一方ならず、

早速に軍記が方へ来りて、

何卒夫の帰候やう御祈祷下さるべし、

と頼みけるに、軍記は聞て打点頭(うなづき)外ならぬ馴染のこととて、早速に肯(うけが)ひ、神前に向ひて修法なしけれバ、妻も夫の帰り来らんことをバ只管(ひたすら)に念じ、日々に軍記と倶に祈り居しが、其満ずるに至りて、軍記の言やう、

(かく)我丹精を凝(こら)し祈るといへども、其方が夫ハ最早此世にハ亡き身となりし者なれバ、思ひ断念(あきらむ)べし、

と言聞すれバ、妻は大いに歎き悲しみ、此世に亡き者とあれバ是非なけれど、余りと言へバ本意なき別れ、言遺し度(たき)事もあるべし、何卒今一度逢たし、会せてたべ、若又会ふことの叶はずバ、倶(とも)に我も死なん、

と狂気の如く悲しみ悶へけるにぞ、

軍記も今ハ困(こう)じ果しが、斯てあるべき事ならねバ、妻に対ひて申やう

其の方、然(さ)までに夫を慕ふの志、操に愛(めで)て我今行法を以て会せ遣はすべし、然(さり)ながら、一大事の行(ぎやう)なれバ、此事決して他言すべからず、

と堅く誓ひを立させし後、一室に入て、最も怪き修法をぞなしけるに、不思議なるかな、此世を去しと言ふ夫、忽然と顕ハれ出(いで)、妻に対ひて言るやう

我此世に亡き身なれバ、朝暮の暮しも必定(さだめし)便りなく思ふべし、然る上ハ此家の主人を師と頼み、有難き御法を以て我に手向よ、左すれバ、我速かに天道に生(しやう)を替へ、地獄の責を免るべし、此事呉\/頼むぞよ、

といふかと思へバ、今迄ありし姿ハ消て失(うせ)にける、

妻は此体を見て驚き悲しみ、更に人心地もなかりしが、稍(やゝ)有て泪を払ひ、軍記に向ひ申やう

亡夫(つま)の申にハ、

貴方様を師と頼み、朝暮に御法を我に手向よ、然(さ)あらバ、地獄の苦を遁れて、彼(かの)天道に生ずべしと、何とぞ私を御弟子となし下さるゝ上ハ、日々に仕へ、御修法をバ習ひ得て、夫の苦患(くげん)をまぬがるやう致し度候なり、

と泪を流して頼みけれバ、軍記も、渠(かれ)が誠を尽し、只管(ひたすら)頼む事なれバ、然れバとて、弟子となし、血を啜(すゝ)りて誓をなし、是より軍記の弟子となり、一心不乱に学びける、

軍記も頼みある者と思ひ、然らバ、願ひの秘伝秘法を悉皆許し遣ハすべし、とて天帝の画像を出し、神文とて指を裂、血を出し、右の画像へ灌(そゝ)ぎ掛け、其外陀羅尼加持祈祷、或ハ金銀を集むるの法、また妖術の印文まで、残らず伝授し悉(つく)しける、

是より毎夜、髪を散し、水を浴て、山々を遍歴するの行をなし、一心に修行なしけれバ、今ハ思ふこと一ツとして行なハれざる事どもなく、軍記と倶(とも)に修法なし、豊田貢と名を更め、夥多(おほく)の金 銀を掠取り、八坂上の町の陰陽師と称し、吉凶判断加持等を、表向の勤めとして、内実切支丹の邪法を行ひ、怪しき月日を送るうち、何時の程にか軍記ハ病死し、今ハ貢一人となりしが、彼の貯へたる金銀をバ、信仰する人に施して、我宗門へと引入るゝに、欲に目のなき凡夫の浅念、誠に有難き宗門なりとて、追々帰依する者多く、先(まづ)摂州西成郡川崎村なる京屋伝助が母さよ、天満龍田町播磨屋藤蔵、同居きぬを勧め込、専ら修法をなさしめて、集むる処の金銀を、師の報恩として別ち取り又ハ貧窮なる者へ悉く分ち与へ、専ら邪法を弘めけるに、眼前の奇法に心迷ひて、組する者追々蔓延、京都大坂其外にも、信仰の徒充満して、其行末は卒(いざ)知らず、日々に栄えて奢侈を極め、邪法を行ひ修することを、上なき宗門と思ひ居るこそ、うたてかりける次第なり、


『天満水滸伝』目次/その8/その10

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