その11 石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885
◇禁転載◇
適宜、読点を入れ、改行しています。
○貢が怨魂怪異を為す |
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斯(かゝ)りし後、大塩が家敷に種々の怪異ありて、雨の降夜ハ、家の棟に老姨(らうば)の悲しむ声聞え、又或時ハ、大きなる火の玉、家内に転げなどし、又夜中など、女子どもが老姨の姿を見る事ありて怪しき事ども多かりけるゆゑ、人々怖れ戦慄(わなゝき)けると、 然(さ)れど大塩平八郎が丈夫の目にハ遮(さへ)ぎらずとなん、爰(こゝ)に奉行高井山城守殿にも、俄然(にはかに)病に臥し玉ひ、毎夜貢が怨霊来り悩ませしゆゑ、幾程もなく奉行を退役し玉ひける、是皆老姨が悪念の所為(しわざ)、と諸人言合りしとぞ、
筆者甞(かつ)て聞る事あり、般若寺村の忠兵衛が娘みねといへるハ、十四歳にて、予(かね)て平八郎貰ひ置き、往々忰格之助に娶合(めあは)すべしと言置けるが、終に自分の妾(せふ)として、去る申年十一月十七歳にて男子を生み、名を今川弓太郎と付しハ、前に言ふ如く、大塩本姓今川にて、彼義元の後胤なれバと、常に人に語りしと、
又平八郎が奧座敷へハ、知音(ちいん)といへど入るを許さず、子の妻(さい)たらんと約せし者を己が妾となせし事、人の身として鳥獣に斉(ひと)しき行為あるものゝ、豈(あに)能く大事を為すことを得ん、
平八郎ハ、幼少より道家の教へに成長(ひとゝなり)、斯る汚行はなかりしも、如何なる事に乱れしや、前にも言へる彼の悪姨(あくば)豊田貢が祟りなるもや、貢が所持せし切支丹の書物ハ、残らず火中せしと言へど、其内我心に適ひし書物ハ密に取置、隠匿(かくし)て熟覚(覧カ)(じゆくらん)せしともいふ、
何れにも怪しき事どもなりと、人々後に此事を専ら評判なしにけり、
又一説に愛妾のゆふと言るを剃髪させしハ、豊田貢が霊魂を避んが為にせしともいひ、又西組の与力なる弓削田新左衛門を腹切せし其菩提の為にせしともいふ、
是等ハ各々訳ある事にて其実をバ顕しがたく、秘すべき事の限りなれバ、何れが実なるや勘弁ありたし、