Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.4.17

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大塩の乱関係史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その14

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○大塩平八郎隠居して大望を企つ (3)

平八郎ハ、此事を知て猶更憤り、天子御座所の京師へハ、米を限りて運送なし、其余ハ一粒も余分を送らず、江戸表へハ分外に諸国よりして廻米す、是如何なる私しそや、

我に孔孟の道徳なけれど、天下の為にハ罪をも犯し、下民を悩す盗臣を、天に代つて誅伐し、驕奢に長ずる富豪の輩を斬害して、貯へ置る米銭其他を奪取り、摂河泉播の窮民どもへ施し尽して、是を賑し、天下の眠りを覚し呉ん、

又あはよくバ錦城を乗取、其芳名を百世に伝へん、豈碌々として死を待ハ、大丈夫の所為にあらずと、先一番に一類門弟数を尽して呼集め、其密謀を告けるに、同気相求め、比類相応して是に徒党する者共にハ、同組与力小泉淵次郎、瀬田済之助、同心にハ、渡辺良左衛門、吉見九郎右衛門、河合郷左衛門、平山助次郎、近藤梶五郎、庄司儀左衛門、玉造与力の悴当時勘当の身分なる大井正一郎、御弓同心竹上万太郎、其他浪人にハ、平八郎伯父河内国(摂津国)吹田村の神主宮脇志摩、彦根浪人梅田源左衛門、伊勢の御師安田図書、浪人森本(松本)林太夫、郷民の名ある者にハ、般若寺村の名主橋本忠兵衛、守口宿の質屋三郎兵衛、同所の名主茨田軍治、同斉治、其外上田幸三郎、高橋九右衛門、梶岡(柏岡)源左衛門、志村周治、堀井儀三郎、阿部長助、曾我器助(岩助)、市田次郎兵衛、額田一郎右衛門、郷井磯四郎、横山文哉等、皆一味の連判状に誓詞血判をなせしとぞ、

爰に徒党の一人にて、同組の同心河合郷左衛門といへる者ハ、当年二才の男子あり、此子世にいふ白児にて、甚だ容貌醜けれバ、郷左衛門は常に苦に病み、憫然(ふびん)がりて居たりしが、如何になしけん、其子を抱きて彼盟約せし正月中、出奔なして行衛知れず、

平八郎ハ此事を聞、若や河合が一大事を他に洩しもやせんか、とて頻に危ぶみ思ひ居しが何かバ、何ハ扨置、性急に事をなすには百姓どもを馴付ん事急務なれと、頓(やが)て真片仮名にて檄文(次に出す)を作り、是を板行に上せつゝ、其判する時、人に洩んと、横に三行づゝ彫刻させ、出来(しゆつたい)の上、植字板へ綴り合せて、摺物師を自宅へ賺(すか)し招き寄せ、一間に捕へて摺せしを、黄色の絹の袋へ入れ、天より下さるの文字を認め、摂河泉播四ケ国の村々及び残る処なく、神社仏閣の柱へ張せ、彼摺物師ハ十九日の朝まで大塩の宅へ留置、金十両を与へて去しむ、

其者後の祟りを恐れて、直に奉行所へ出訴せしとぞ、

扨二月十九日にハ、此度新に上坂せし、西奉行なる堀伊賀守殿、町々巡見の途中(みちすがら)、平八郎が真向の与力浅岡助之進が方へ、両奉行同道にて休息あるべき由なれバ、未だ事ハ調ハざるも、此時を失ふべからずとて、徒党の人数を催促し、其休息の不意に起りて、飛道具をもて微塵になさん、と郷民どもを集むるにぞ、

彼平八郎とハ縁者たる、般若寺村の橋本忠兵衛ハ、田畑等も多く持、頗る侠気ある者にて、予て密謀に組し居けれバ、其村内の窮民に、施行をすると号しつゝ、郷民どもを十九日の未明よりして平八郎の宅へ多人数集しとぞ、


川崎与力屋敷復元図


『天満水滸伝』目次/その13/その15

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