その15 石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885
◇禁転載◇
適宜、読点を入れ、改行しています。
○平八郎師の名義を以て無尽を企つ |
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偖(さて)も大塩平八郎ハ、今隠居となりて閑逸の身久しく、音信も絶\゛/なれバ、東都へ下り彼林家の安否を問んと、門弟中へ其旨具(つぶさ)に物語り、夫より旅の用意をなし、心利たる僕を召連、急がぬ旅のことなれバ、名所古跡を見物し、年頃の鬱を散ぜんとて、頓(やが)て首途(かどで)をなしけるに、数月を経て帰坂なし、
我、林家より余儀なき頼みに断りがたく、承引(うけひき)て立帰りしも、中々以て我微力にハ及び難し、夫に付、気の毒ながら無尽を取立たく思へバ、迷惑ながら加入して、と彼の随順せし者共へ頼けるにぞ、
一同が師の頼みといひ、平八郎が平常(つね)の気質を知り居る者、余儀なき次第と承引て、守口宿の白井孝右衛門ハ人も知りたる富家なれバと、是へ頼みて金五百両、猪飼の村名主馬之助に金二百両差出させ、其外身元宜しき者へ夫々分限に相応し、百両五十両三十両と段\゛/出金いたさせける、
其節林家の表印、また大学頭殿の裏印ある証文数通を平八郎より銘々へ渡し、両三年ハ此証文の金高に応じ割戻しをバ度々せしも、其後平八郎皆々を自宅へ招きて言けるは、
今日各々方をお招き申し、お噺し申すハ、他ならず、先達て中頼み入し無尽のことに付てなり、大恩を請し師の頼みに、黙止難く各々へ無理なる御無心を申し入しが、我、何をがな師恩をバ報じたしと、予てより思居し所なれバ、以来ハ我より返金すべし、因て何卒林家より渡し置れし御裏印の証文を返し給はるべし、
と強(たつ)て頼むに、皆々ハ外ならざる儀と承知なせしに、則ち林家よりの証文ハ、皆般若寺村の忠兵衛が名印の証文と引替けり、是全くは大塩が深き根ざしの有る事にて、右の金子を偽りて取集め置、其実ハ軍費に充る下心とハ、後にぞ思ひ合されたり、
また大塩平八郎箚記といへる書を著し、我心願のことあれバ、是を諸国の霊山霊地へ納め置たるものなりと、門弟中へ吹聴し、只一僕を召連て、旅の用意もそこ\/に、頓(やが)て出立をなしけるが、先伊勢内外の神垣に賽(かりまを)して、駿河の富士、摂津国の甲山と、名ある大山へ登山なし、其外霊山霊地ハ更なり、高山名岳といふ所は皆悉く到りしといふ、是も跡にて聞得れバ、諸所の地の理を考へ究め、万一(まさか)の時の用意の為斯る怪しき事をなせしと後々語り伝へたり、