Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.3.18

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『今古実録大塩平八郎伝記』

その54

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 〔○遠藤但馬守殿組下諸士へ御達書下され物
    附諸士の小伝〕 (3)

管理人註
   

○坂本鉉之助初め賜品目録左ノ通  一 御差料御刀一腰 坂本鉉之助 右刀の拵目録左の如し   (刀)摺上無銘志津 長弐尺三寸六分 一腰   (柄)白鮫糸染   (縁)赤銅斜子金紋一ツ龜甲 岩本昆寛作   (頭)塗角   (目貫)金龍   (切羽)金小刻   ()金着せ一重表紋丸の内かたばみ   (鴎目)金三枚   (鍔)鉄丸形   (鐺)滅金斜子   (鞘)蠱鮫   (下緒)紺   (袋)薄紫純子紐黒  右の刀は、尾州の成瀬侯より相伝はりける但州侯秘蔵の刀にして、殊更見  事の物也、作は兼氏の由、尤格合も宜く、全体但馬守殿には性質刀剣を好  まれ給ふ故、鑑定も余程御巧者にて、御大名には珍敷御目利の由、他の者  へ被下候白鞘は皆新刀なりとか、  一 御刀一腰   本多為助  一 白鞘御刀一腰 脇勝太郎  一 同      八田又兵衛  一 同      柴田勘兵衛               一 同      米倉次郎  一 同      高橋佐左衛門  一 同      蒲生熊次郎           玉造  一 同      京橋与力 石川彦兵衛  一 銀壹枚ヅゝ  与力三十人  一 御紋服 別段銀二枚 同心山崎弥四郎  一 御紋服    同心糟屋助蔵  一 上下     同心高橋弥兵衛  一 金二百疋   同心田村藤助  一 銀七両ヅゝ  同心退身之者并雇候者廿九人  一 銀十両ヅゝ  打払同心弐十九人  一 銀五両ヅゝ (同断雇不相成屋敷廻り相勤候者十人之者ヘ)  一 銀三両ヅゝ  右之内悴幼年之者十人           但三十二人之内打払同心ノ者共           弥四郎、助蔵、弥兵衛ハ別段被下有之ニ付除  一 銀七両ヅゝ (守口宿吹田辺ヘ罷越同心廿二人)  一 銀五両ヅゝ  小頭六人  一 銀弐両ヅゝ  筆頭十八人  一 銀十両ヅゝ  同心百人ヘ  一 金四両    町奉行所ヘ相詰候与力十六人ヘ  一 金八両    同断 同心六十七人ヘ  一 同三十両  (御雇分両町奉行所ヘ相詰候同心十四人ヘ)  一 金弐枚ヅゝ (与力隠部屋住之者雇廿壱人)  右之通り被下物有之候上、当勤の与力同心へは五月五日吸物にて酒を賜  り、又隠居部屋住の者共へは同七日下屋敷に於て同断、是を賜候由、 ○高橋徹山は、佐左衛門隠居にて法体して徹山といふ、 ○坂本鉉之助俊貞は、字鼎者荻野流砲術の師範をなして、最も其業に達す、  当時御天守番坂本孫之進へ砲術手練の段達御聞、是に依て居与力被仰付、  其後御天守番被仰付、関東へ被召出候時、御定番与力の株を孫之進へ被  下、右に付鉉之助を養子として跡を立るといふ、中組上組東組とて支配  役の者三人にて、同心百人を三ツに別て配下とす、上組の一統炮術中島  流、中組は炮術荻野流なり、東組は不残武術流なり、各々其流儀/\励  み合学びしとぞ、         玉造 ○石川彦兵衛は、京橋組の与力にて、関口流柔術の師範をなし、当時の上  手と称せらる、 ○本多為助は、諸事心懸宜き士にして組与力の悴なり、本多家へは養子と  なりし者にて最も書を能す、 ○小林専右衛門は、支配役を勤め、当時隠居なれど当流の先哲にて、鉉之  助をも取立し程の天晴一流の業者なり、殊に大筒の仕懸打に妙を得たる  巧者なり、 ○田村彦助は、東組同心猪狩矢右衛門の門人にて、武術流の免許を請し者  なり、殊に二百目筒を立撃する力量ある強士なりとぞ、

本文には見出し
なし、目次によ
る

『天満水滸伝』
その55
 


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