石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885
◇禁転載◇
適宜、読点を入れ、改行しています。
○坂本鉉之助初め賜品目録左ノ通 |
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一 御指料御刀一腰 坂本鉉之助 右刀の拵目録左の如し
(刀)摺上無銘志津長弐尺三寸六分 一腰
(柄)白鮫糸染
(縁)赤銅斜子金紋一ツ龜甲 岩本昆寛作
(頭)塗角
(目貫)金龍
(切羽)金小刻
()金着せ一重表紋丸の内かたバみ
(鴎目)金三枚
(鍔)鉄丸形
(鐺)滅金斜子
(鞘)蠱鮫
(下緒)紺
(袋)薄紫純子紐黒
右の刀ハ、尾州の成瀬侯より相伝ハりける但州侯秘蔵の刀にして、殊更見事の物也、作ハ兼氏の由、尤格合も宜く全体 但馬守殿にハ性質刀剣を好まれ玉ふ故、鑑定も余程御巧者にて、御大名にハ珍敷御目利の由、 他の者へ被下候白鞘ハ皆新刀なりとか
一 御刀一腰 本多為助 一 白鞘 刀一腰 脇勝太郎 一 同 八田又兵衛 一 同 柴田勘兵衛 一 同 米倉悼次郎 一 同 高橋佐左衛門 一 同 蒲生熊次郎 一 同 京橋与力 石川彦兵衛 一 銀壹枚ツゝ 与力三十人 一 御紋服別段銀二枚 同心山崎弥四郎 一 御紋服 同心糟屋助蔵 一 上下 同心高橋弥兵衛 一 金二百疋 同心田村藤助 一 銀七両ツゝ 同心退身之者并雇候者廿九人 一 銀拾両ツゝ 打払同心弐十九人 一 銀五両ツゝ (同断雇不相成屋敷廻リ相勤候者十人之者ヘ) 一 銀三両ツゝ 右之内悴幼年之者十人 但三十二人之内打払同心ノ者共 弥四郎、助蔵、弥兵衛ハ別段被下有之ニ付除 一 銀七両ツゝ (守口宿吹田辺ヘ罷赴同心廿二人) 一 銀五両ツゝ 小頭六人 一 銀弐両ツゝ 筆頭十八人 一 銀十両ツゝ 同心百人ヘ 一 金四両 町奉行所ヘ相詰候与力十六人ヘ 一 金八両 同断同心六十七人ヘ 一 同三十両 (御雇分両町奉行所ヘ相詰候同心十四人ヘ) 一 金弐枚ツゝ (与力隠部屋住之者雇廿壱人)
右之通り被下物有之候上、当勤の与力同心へハ五月五日吸物にて酒を賜り、又隠居部屋住の者共へハ同七日下屋敷に於て同断、是を賜候由、
○高橋徹山ハ、左衛門隠居にて法体して徹山といふ、
○坂本鉉之助俊貞ハ、字鼎者萩野流砲術の師範をなして、最も其業に達す、当時御天守番坂本孫之進へ砲術手練の段達御聞、是に於て居与力被仰付、其後御天守番被仰付、関東へ被召出候時、御定番与力の株を孫之進へ被下、右に付鉉之助を養子として跡を立るといふ、中組上組東組とて支配役の者三人にて、同心百人を三ツに別て配下とす、上組の一統炮術中島流中組ハ、炮術荻野流なり、東組ハ不残武衛流なり、各々其流儀\/励み合学ひしとぞ、
○石川彦兵衛ハ、京橋組の与力にて、関口流柔術の師範をなし、当時の上手と称せらる、
○本多為助ハ、諸事心懸宜き士にして組与力の悴なり、本多家へハ養子となりし者にて最も書を能す、
○小林専右衛門ハ、支配役を勤め、当時隠居なれど当流の先哲にて、鉉之助をも取立し程の天晴一流の業者なり、殊に大筒の仕懸打に妙を得たる巧者なり、
○田村彦助ハ、東組同心猪狩矢右衛門の門人にて、武衛流の免許を請し者なり、殊に二百目筒を立撃する力量ある強士なりとぞ、