その22 石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885
◇禁転載◇
適宜、読点を入れ、改行しています。
○大塩兵を集めて軍を出す (4) |
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去程に、逆徒の輩は漸次(しだい)に多人数となりけるにぞ、いざや二手に別れ押行んとて、此処より一方ハ、大井正一郎を以て人数を司どらしめ、東町筋へ押出して米平が輩らを焼立しむ、
亦一方ハ、大塩平八郎是を司どり、船場に入て高麗橋筋へ打出、三井岩城等の店々を大筒火矢にて焼立し、其形勢ハすさまじく、其黒煙天を覆ひ、恐ろしなんどいふ斗りなく、逆徒等弥々向ふ者なきに、思ふ存分相働き、其乱妨いハん方なし、
実(まこと)に是を見者ども恐れをなして、舌を巻、身の毛をよ立、慄へ上り、十方(とはう)に暮れて泣叫び、親を呼やら子を慕ふやら、其哀れなる有様ハ何に譬ん様もなし、
筆者甞て聞ることあり、鴻池善右衛門善五郎の両家が、其富豪の名を天下に轟かせしハ、誰々も能知ところなれど、然るも去年窮民共へ施しするのことに付て、大塩自ら是を説て、斯る難渋の折なれバ、御辺等財を散して此節の饑寒を救ひ玉ふべし、と懇々勧めたりけれど、鴻池ハ肯はすして、其後僅銭八百貫文を施行に充(あて)行なひしと聞えたりしが、加之(それのみな)らで、米七万石を買〆し事を平八郎が探り聞たることなれバ、是を悪(にく)むこと甚しく、故に第一鴻池を焼亡すべしと思ひ立、善右衛門善五郎が両店を焼亡して、残る所は土蔵僅に二戸前なりしと、
鎮火後焼跡の灰を掻時、焼爛(やきたゞれ)し金銀の類を、四斗桶にて持運ひしと、然れど銀ハ悉々く土塊の如くなりつれど、金は焼爛るゝも其性を失ハずとなん、其外種々の珍宝器財残らず灰燼となりけるこそ惜むべきの事と共なり、
又三井が店ハ数年来売買して積置し羅紗金襴ハ言に及ず、古物の品々数を尽し、帳面蔵まで焼失ひ、土蔵は一ツも残さず焼落、金銀財宝烏有となりし、其高幾許といふを知らず、
亦岩城の店ハ高麗橋際にて、逆徒此所に至りし頃ハ、頗ふる労を生しけるにや、七八十人どや\/と彼の店内へ押込て、支度を出すへしと求めけるに、偵(さすが)ハ岩城の店程有て、出来合の飯を出せしに、各々是を十分食し、暫時休足なし居れば、店の者共冷汗にて、如何あらんと気を揉けるが、程なく一同出懸る時、食事をなせし返礼の心か、土蔵へ向ひて火を懸ず、見世のみへ火矢を打懸て、皆々爰を立退たれバ、岩城が店は無事なりしとぞ、是も斯る中にてハ不思議の一ツと語り合り、