Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.6.19

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大塩の乱関係史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その23

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○大塩兵を集めて軍を出す (5)

却て説(とく)、此以前跡部山城守にハ、小泉淵次郎を討果しつれど、瀬田済之助をバ取逃しける故、西奉行へ右の始末を申送りて、面談致し度思へバ、早々此方役宅へ御越有やういたし度、と使を以て言遣れバ、

伊賀守にハ、是を聞れて、承知の由を返答有て、急ぎ出宅いたされたるハ、早夜も明てのことなりける、

其以前に、平八郎が伯父に、同組与力大西与五郎といふ者あるを、城州呼寄たまひつゝ申渡されける様ハ、

其方の甥の大塩平八郎事、容易ならざる企てあり、依て其方是よりして、平八郎方へ罷り越、渠(かれ)に利解を言聞せ、腹を切せ候べし、然ある時ハ事故なし、若亦渠不得心に及ばゞ差違へて国恩に答へよ

と呉々申付られけるに、元より与五郎ハ一味ならねバ、承伏なして其坐を立しが、此者臆病未練にて、途中に倩(つら)\/考へ見るに、平八郎事、斯の如き大望思ひ立し上ハ、我等如きが意見など承知すべき者に非ず、然し頭の言付を用ひされバ、我が身の難義と種(いろ)々工夫なしけるが、俄に病気差起りし、と城州の方へ断りを立て、平八郎が方へハ行ずして、悴善之進と言るを伴ひ、何国ともなく逃去りて、行方知れずなりにける、

依て利解の謀事も空敷なりし其内に、天満よりして大塩が徒党暴発しけると覚しく、大筒小筒の音頻りに響き、忽ち黒煙天を衝き、猛火盛んに燃立けるに、斯あらんと城州にハ、兼て心に思ハれけれども、我手の与力同心共にハ、皆々大塩が党類にもや其志し斗り知れ難く、既に昨夜の泊番の両人の者にも平八郎に一味なしたることなれバ、我が手の者とて油断し難し、爰に聊か狐疑を起して、少しも心を免されず、

然れど其儘に居んことも臆したるに似て快よからず、如何はせんと思案の内、屹度心に点頭(うなずか)れて出宅ありて、御城内なる城代土井大炊頭殿が許へ至られ、対面の上述られけるハ、

扨此度の一儀なり容易ならざる次第にて、早天満より事起り、其騒動大方ならず、依てハ早速出馬いたし制方(せいしかた)の手配り、召捕差図等に及ふべき処、組の者共大塩へ荷担の程も斗り難く、迂闊に召連れ出張いたし、万一途中にて違変あらバ、不束にも相当り、夫のみ当惑に思ひ候、依て何卒玉造組の与力へ尊君より仰渡され、是を拝借仕りて出馬いたし度候なり、

と委細に演説に及ばれけるにぞ、

大炊頭殿にも驚かれ、如何にも道理(もつとも)なることなりと御返答ありけるとなり、

扨も此時玉造り御定番遠藤但馬守胤統朝臣にハ、此変事を聞給ひ、御城代の許へ相談の為め旁々相越居られしが、今城州の演説を聞れて、早速此儀承知あり、

御道理なる次第なり、罷帰りて申付べし、

と直様帰宅の其上にて、用人畑佐秋之助を呼出し、城州よりの所望に付、与力を加勢として遣すなり、汝陣代与力を召連、跡部が方へ罷越べし、然しながら手合の程も斗難く、其覚悟にて罷出よ、

と左右(かにかく)旨を申渡され、又組与力坂本鉉之助、本多為助、蒲生熊次郎の三人を呼出され、

跡部城州頼みに付、其方共を貸遣すなり、万事差図を得て働くべし、若出張の上、手合の程も斗り難し、左もあらバ、汝達平生の心懸を顕すべし、此儀我に於ても頼思ふなり、且陣代として畑佐秋之助左(さし)遣す間、万端申合すべし、

と仰渡されける処、右の三人畏り、

我々御見出しに相成上ハ、当組名折にならざる様、花々しく働き候、

と御請なして、直様に同心三十人を召連て、畑佐秋之助諸共に跡部山城守の役宅へ赴きける、此時城州の与力浅岡助之進、近藤三右衛門の両人ハ、

逆徒の方にハ大筒を用ひ候由に候へば、各々方にも大砲を御用意有て然るべし、

と申けるに、坂本鉉之助答へていふやう、

但馬守申され候にハ、御同心共ハ一同に三匁五分の御鉄砲、拙者共にハ十匁の玉筒持参致す様申付られ、其支度にて相越しなり、然るに又候大筒を持参致す様相成てハ、其筒の仕懸等に手間を取、時刻延引致すべし、彼逆党の張本人共ハ、五六人と申事にて、跡ハ烏合の集り勢なれバ、随分是にて打払はれん、

と言へども、此議然るべからず、強(たつ)て大砲の方、御用ひある様、浅岡、近藤所望せしかバ、然らばとて其儀に決し、奉行所の馬を借受て、蒲生熊次郎是に打乗、急ぎ馳帰りて、大砲の用意を申談じ置て、即時に引返したりける、

此時奉行所にハ、乾の方、堀ある所に梅の木の茂りたるを、枝共切捨、爰の手に鉄砲を配り、逆徒の防きを設けたり、然かるに、市中にてハ逆徒の勢ひ盛にして、所々乱妨に焼立る由、注進櫛の歯を挽が如く、今は小(すこ)しも猶予ならずと、両町奉行打合の上出馬なして取鎮めんと、亦々城州にハ入城ありて、其旨御城代へ届けられける時に、玉造御定番但馬守、猶居合られ、出馬致さるゝとあるからハ、猶又加勢を増べしとて、直様帰宅に及バれて、組与力柴田勘兵衛、脇勝太郎、米倉倬次郎、石川彦兵衛の四人を呼出され、

山城守出馬あれバ、其方共罷り越、城州の下知に随つて身命を惜ます働らくべし、

と仰せに、四人は畏まり、直に立出んとする様子を、但馬守屹度見られ、

何れも着込の用意や有、

と問れて、勘兵衛承ハり、逆徒の奴原大砲を用ひ申由聞及べバ、其場へ罷出候に、何程実よき具足にても、玉除にとてハ相成申さず、此儘にて 罷越候ハん、我々罷出る上ハ、生て再び御目通り仕るべくとは思ひ候ハず、

と答へ申上けれバ、但馬守是を聞れ、

此覚悟尤も殊勝然も有べし、

と仰られ、又余の者共へ押返して、

如何ぢや、

と尋られけるに、仰にや及ぶべき、銘々共、一致に候也、と申上て、追手の門より城州の役宅さして出城せる体(さま)、潔よくも又勇しく、実に天晴の心得と云べし、


咬菜秘記


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