Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.6.26

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『天 満 水 滸 伝』

その24

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○大塩兵を集めて軍を出す (6)

斯て四人の者共は、先の三人と一団(ひとつ)になり、都合七人、城州が出馬に従ひ罷り出んと鋭気を養ひ居りたりける、

此時役所の防禦手薄く、御城代へ伺ふべき隙もなけれバ、取敢ず京橋組へ、直々に与力同心の内参り候様申遣はしける処、京橋組にハ、此節ハ御定番たる米倉丹後守未た御役仰付らるも上坂あらざる時なれバ、此儀御城代の御下知ならねバ此手の防禦差置て罷越難き由を答ふる処に、御目附中川半左衛門、犬塚太郎右衛門来合せて、是を聞れて言(ことば)を改め、

何條然る事の候ハん、跡にて御城代へハ申べし、某等差図に及ぶ、早々加勢に相越べし、

と申渡され、承まはり、与力清水理兵衛、広瀬次左衛門、沖鉄之丞の三人ハ、同心三十人を引具して、奉行所へ加勢として到着しける、

依て玉造方にハ、防禦の場所を京橋組へ引渡し、午の中刻、同勢引具し、馬印をバ真先に押立、跡部山城守出馬あり、玉造御定番遠藤但馬守の陣代重臣畑佐秋之助、是に加ハり、与力七人、同心三十人、是を二行に組立て、秋之助差配なし、平の町筋を西へと押行に、逆徒、凡そ壱町半程向の方より大筒を打立、黒烟を揚、真先に旗押立て、鯨波(とき)を造りし打立来る、

先に進みし同心の七尾清次郎、岡島官兵衛、糟屋助蔵、山崎弥四郎、間近く進んで、一同に筒先揃へて打立けるに、逆徒等此筒先に打惱され、雑人原の打倒されしに、颯と乱れて散乱す、

此内追々筒先揃へ、無二無三に打散したり時に、西奉行堀伊賀守にも此所へ乗付来られしが、人数不足と、御定番の陣代畑佐秋之助へ旨を具に談ぜられ、与力脇勝太郎、米倉倬治郎、石川彦兵衛の三人に同心若干を加勢に借受、両手の備を推進ましむ、

城州方の人数にハ、思案橋をバ打渡りて、真一文字に押進む、又伊州方の人数にハ、本町筋へ平一面に押行所に、城州の先手堺筋に至る時、其間壱町斗り隔て相対しけれバ、逆徒等望む所なりと馬印をバ目当にし、烈敷鉄砲を打掛しが、中にも大砲を差向ける時、巣口仰向て目的(ねらひ)付ねバ、車の跡へ棒を入、是を押直さんとする内に、此方の与力同心共、爰ぞと筒先揃へて、透間もあらせず、烈敷込替、雨霰の如く打出しける、

此時坂本鉉之助、本多為助の両人ハ、声の嗄(かるゝ)る斗り同音に打や、人々\/と呼ハり\/十匁の筒先固めて打払ふ其有様こそ凛烈(すさまし)き、然れど兎角に鉄砲の玉ハ空へと飛けるにぞ、

折敷て打べしと頻に呼ハり示けるが、双方より打鉄砲の音と鬨の声とに遮られ、更に耳へも入ざりしと、


『天満水滸伝』目次/その23/その25

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