石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885
◇禁転載◇
適宜、読点を入れ、改行しています。
○大塩兵を集めて軍を出す (6) |
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斯て逆徒の押来りし大筒、漸く直りしと見え、一人の火術者らしき者、前に廻りて火をさゝんとする時、口薬調ハず、彼是手間取其内に、坂本鉉之助、本多為助、列を離れて近く進み、左右に並び身構なし、彼の火術者を目当にし、十匁筒にて狙ひけるに、左の用水桶の影より、小筒を持たる逆徒壱人、密に鉉之助を狙ひて、既に火蓋をバ、切んとするの有様を、為助、眼早く是を見て、彼鉉之助に声を懸、危ふし\/と呼ハりしも、騒きに紛れて先へ通ぜず、且一心に彼火術者を狙ひ込たることなれバ、更に耳へハ入ざりしと、
此時為助、火術者を討んと、向し筒先を忽ち転じて、用水桶の方へ向て、(どう)と放せバ、桶をかすりて賊に当らず、彼賊、驚き手元狂ひて、同時に放つ鉄砲ハ、鉉之助が着したる、陣笠の左の端を打貫たり、此時毫毛の金合(かねあひ)にて、鉉之助より打たる鉄砲、目的(ねらひ)は少しも過たず、彼火術者の、左の脇より右の肩へと打抜たりしに、何かハ以て堪るへき、火縄を持ながら倒伏たり、
又是と同時に、同人の打たる鉄砲、車の脇の雑人の、腮(あぎと)を打抜たりけれバ、是も同く倒れたり、
スハヤ此図を脱(ぬか)すなと、一同手繁く打立\/、玉を込替て先へ\/と相進み、爰を先途と打出しけるにぞ、
烏合の集り勢、辟易して皆八方へ散乱しけるを見るより、畑佐秋之助ハ、与力同心へ下知なして、今こそ賊徒を皆殺しになすべき図なり、者共や、討よ進め、と云ふ下より、心得たり、と其手の面々、平一面に打出すに、逆徒等、手向ひもなさずして、右往左往に逃散たり、
筆者曰く、大塩格之助ハ、幼年より、火術を玉造同心藤野鎚太郎といへる者に付て、修行せしとぞ、
折節の話しに、万一(もし)一朝大坂表に非常の事あらバ、其組にてハ何方を警固せらるべきや、と問けるに、藤野答へて、町々ハ、申さずとも其方の持場なり、拙者共ハ、只玉造の土橋まで
を持場に致候心得なり、と言しことありしと、考ふるに、大塩父子が此度の暴挙に付て、玉造組の与力同心等が加勢にハ出まじと思ひ込し物ならん、と跡にて思ひ合せし、と玉造組の物語りなり、
此乱暴の時、格之助が緋威の鎧を着たるを見し、といふ者有けれど、町奉行方の同心蒔田幾太郎の話しにハ、鎧の事ハは心元なし、去年中、格之助猩々緋の二枚綴(しころ)の火事頭巾を十七両にて買取しことあり、其時我等に見せけるが、誠に立派の事なり、是ハ奉行衆の召れても宜敷物なり、と我等申けれど、否\/某も着用する様に相ならば、着用致すべし、と一笑しけるが、必定(さだめし)其頭巾を緋威の鎧と見違へし物ならん、と語られしとのことなり