Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.7.24

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大塩の乱関係史料集目次


『天 満 水 滸 伝』
その28

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○火災消滅 (2)

此時大塩方散々に打散され、今ハ平八郎も詮方なく、予て覚悟のことなれバ、鎧の上帯解捨て、腹掻切んとする処に、一人の僧顕はれ出、刀持手を確乎(しつか)と捕へ、

君は大塩平八郎殿と見受たり、拙僧をお見覚えハ是有まじ、算へて見れバ其昔、君総角(あげまき)の頃なりし、鈴鹿山にて一命を打るべきを、情を以て一命を助け給はりし事、今日迄も心魂に徹したり、其時厚き御教訓にて、始めて夢覚し心地なし、幸ひ黒髪を切捨られしを其儘菩提の種とな し、旧悪を滅せん、其為に諸国を経歴り居たりしうち、彼総角の武士こそ、大塩氏と跡にて聞き、君が武運を祈りつゝ、時節も有ば見え奉り、斯発起せし出家の事ども、聞え上んと思へども、生得罪科の重けれバ、旧悪露顕せんと恐れて、只今までも告奉らず、

今朝此企てあるを聞と、斉(ひと)しく若しも御身に危急の事も候に於てハ、惜からぬ此一命を抛つて、厚恩報じ奉らん、と斯乱軍の中を馳廻り、御跡を慕ひ候なり、

一先此場を落延玉ひて、又如何様にも御思慮ありて、御子息と御談合なさるべし、某し爰にて大塩氏が御名を借て相果申さん、然あらバ、落延玉ふにもお心安きことなるべし、

と誠を顕し言出る法師の義心に、平八郎感激なして、暫くハ猶予に及び居し処、橋本忠兵衛、 天満の作兵衛、大塩随順の者どもが、倶に一先落延給ひて、又々計議有べし、と格之助始め勧めけるにぞ、

今ハ平八郎も心を決し、然らバと斗り名残惜気に、皆々此場を落延たり、

跡に彼僧ハ、平八郎が脱捨置し鎧を着し、身構へなして大音に、大塩平八郎運命尽て、此所にて最期を遂る、我と思はん人々ハ、来りて首を取候へ、

と呼はり\/駈廻れバ、

スハヤ大塩、遁すな、

と思ひ\/馳集り、追取巻を、彼僧ハ、右へ突き、左へ当り、千変万化に働けども、其身金鉄ならざれバ、遂に数ケ所の手疵を負ひ、今ハ覚悟と思ひ定め、燃上りたる焔の中へ、勢ひ込て飛で入、熏り返つて死したりける、

彼の大塩平八郎が僧になりしと言伝へしハ、此法師のことを言しなりとぞ、

扨張本人なる大塩なれバと火を消し、死骸を引出し点検するも、焼爛れて其何人を分たざりしと、

然ども平八郎ハ小兵なり、此法師は大兵なれバ、人皆疑ひ思ひたりしと、

斯て市中の乱暴ハ静まりけれども、火気募り、風さへ強く吹出し、何時鎮火すべき物とも見えず、火消人足ハ、此騒動に四方へ逃散、壹人も防火に力を尽す者なく、漸々是を呼集め、消防方を命じける、 爰に残党原、近辺に未た忍ひ居て、夜討するなど、誰云ふとなく風聞し、黄昏頃に至りてハ、玉造口へ押寄て、放火するなど言触しける、

因て御城内にハ、用心厳しく、東番頭菅沼、与力同心を加勢とし、相詰られ、御本丸ハ、西番頭北条、与力同心一手にて相守らる、

玉造横手の御蔵脇ハ、要害浅間なれバとて、御定番より菅沼へ談ぜられて、両番頭の手勢を向て、横打を構へんものとせられしかど、玉造与力同心の家内の者共、万が一放火に慌忘迯行バ、御蔵脇十間にハ通り難し、と此横打ハ止られけるが、必ず油断なし難しとて、遠藤殿より申渡され、与力同心の隠居より二男三男に至るまで、男たるべき者十五才以上を催促ありて、筋金御門を守らしめられ、往来を厳しく改められける、

火事に迯行人々に紛れ込で通らんとせし賊徒、八人迄生獲けるが、此者共は皆腰に彼種が島の鉄炮を提、袂に玉薬を入置て、忍び挑灯を懐中したりと、其中壹人の坊主有て、力飽迄強くして、漸々四五人掛にて、終に搦取けるとぞ、


『天満水滸伝』その3「鈴鹿の山中に平八郎賊を窘む」


『天満水滸伝』目次/その27/その29

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