Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.7.17

玄関へ

大塩の乱関係史料集目次


『天 満 水 滸 伝』
その27

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○火災消滅 (1)

此時逆徒散乱の場所へ至り見分するに、打倒されし火術者ハ、黒羅紗の羽織に紺縮緬の下帯を〆、白き足袋を穿、細身の大小を帯したり、

斯様の場所に出る支度とハ見えず、此ハ梅田源左衛門とて彦根浪人の由なるが、爰に奉行の家来にて一条一といへる者、此首をば切取て、耳より耳へ鎗を貫き、城中指して持帰れりと、

扨逆徒等が捨置し飛道具など、道路に充満し、是を取捨取集め て、西奉行にハ本丁筋へ押行るゝに、遥遠方より放したる鉄炮の玉飛来るに、馬驚きて前足を上しかバ、奉行ハ鞍に堪り兼、真逆まに落馬せり、

其手の者ども驚きて、スハ奉行にハ鉄炮にて打れ玉ひし、と逃出すを、陣代畑佐秋之助、是を見て声を励まし、如何にや人々、奉行にハ、下立(おりたち)玉ひしを、穢なき挙動(ふるまひ)卑怯哉、とて大音声に呼ハりけるに、漸々景気を取直し、再び筒先を揃へて打放す、此隙に伊賀守馬に打乗り、瓦町へと進み向ふ、

脇勝太郎申けるハ、爰より立ばさみに押行べしと、

伊州聞れて頭(こうべ)を振、否々夫にハ及ふまじ、と西を指て押行ける、

斯る程に、難波橋の北の辻にて、砲声夥しく響きしかバ、其辻に向ひて駈行ける道にて、大小一腰と鎗二本をハ拾ひつゝ、彼淡路町の所乱をハ、取鎮の為め赴かる、

斯る処に、玉造の同心高橋源兵衛と言る者、迯後れたる帯刀の賊壹人、召捕引立て奉行の許へ引渡す、

扨両町奉行にハ、談合有て、逆徒の行衛知れざれども、先散乱なせし様子なれバ、跡部城州にハ、入城有て御城代へ此事を告申さん、と引返され、四人の与力と同心ハ、東役所にて休息なし、又伊州にハ、三人の与力と同心をバ引具して、町々所々を見巡られ、是も跡より入城なしたり、

畑佐秋之助と三人の与力並に同心の面々にハ、思案橋の南手に陣を取、其夜亥の刻頃引取たり、

京橋役与力同心の一手にハ、本町橋を固め居しが、是も夜半の頃引取ける、

此日に至り見物の者言伝へたる処にてハ、玉疵にて死し倒れたる死骸、山岳をなす内にも、彼淡路町の町中に、大の男の死骸あり、正しく角力取と覚しく、強き働きせし者ならんと、

又淡路町にて、大塩方惣山崩(なだれ)に敗走の折、多勢の中より只一人、取て返し勝誇りし多勢の中 へ驀(まつしくら)、地面(おもて)も振らず突入しハ、是ぞ即ち杉本林太夫 *1 にて、其年僅十四才、白綾の絹にて鉢巻し、水車の如く長刀を振廻し、当るに任せ薙伏薙立、勢ひ猛く働きける、

是が為、奉行方にも疵を蒙る者多かりしが、終に多勢に取巻れ、運拙くも生捕となる、

又、瀬田藤四郎、庄司儀左衛門の両人も、敵を悩まし勇戦せしが、遂に奉行の手に生捕れける、


管理人註
*1 松本林太夫のことか。


「咬菜秘記」その12
「浮世の有様 巻之八 大塩乱妨一件落著」その1


『天満水滸伝』目次/その26/その28

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ