Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.10.23

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大塩の乱関係史料集目次


『天 満 水 滸 伝』
その40

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○大塩父子自殺の事 (2)

凡そ三十余日を経るも、父子が所在知ざりける、

爰に御城付の平野の在に、或百姓の娘にて、大坂阿波座堀の傍(かたはら)なる油懸町の更紗染渡世、美吉屋五郎兵衛といふ者方に、下女奉公を為し居し者が、此年三月、年期通り暇ま出て故郷へ帰り、親の手元に居たりしが、或日、近所の百姓達が、此節米の値高直にて、粥も中\/啜り兼、此体にてハ食続かれぬ、と寄集ての世間咄を、娘ハ聞て、何の気なしに、

私が今日まで奉公した美吉屋にてハ、春渇きとて人も増(まさ)ぬに如何したことか、二月の下旬(すゑ)より今日が日まで、此米の高いに、人数より多く飯を焚ますが、然(さ)のみ身代も宜(よく)ない様子、何とも不思議のことなり、

と咄しけるを、傍らにて皆々是を聞居しが、其中一人が聞咎め、段々訳を聞糺して、何様夫ハ只事ならず、五郎兵衛方にハ、誰にも知らさず密々(ない\/)人を隠匿(かくまひ)置、食事を賄ふに相違なし、と言バ、一人が点頭(うなづき)顔にて、然言るれバ、渠(かれ)が女房ハ、彼逆徒の張本人たる大塩平八郎に由縁の者、若や渠等ハ、美吉屋に忍ひ居るやも知れ難し、何にもせよ、お尋ね厳しき謀叛人のことなれバ、村役人まで此事を訴へ出るが宜さふなと勧められて、娘の親ハ、如何にも皆\/の申通り、厳しきお尋ねも有なればと、即ち村役人へ出ると、村役人ども、是を聞、此ハ捨置がたき次第なりと、頓(やが)て其者を同道して、陣屋が許へ出訴しける、

陣屋にても、早速に御城代へ注進に及ぶと、御城代ハ家老なる鷹見十郎左衛門を呼出され、遅々せず早く捕方を差向よ、との仰に付、同人差図として、剣術の師範岡野幸右衛門へ其捕方を言渡し、其外屈強の者八人を撰み、是又捕方として差向らる、

兼て彼処(かしこ)ハ場狭なりと聞へし故に、心得て手頃の棒を各手(てんで)に持、身軽にこそハ出立たれど、大塩父子が面体を確(しか)と見知し者なけれバ、評議の上、西組与力内山彦次郎といふを招き、云々(しか\゛/)の由を申聞るに、彦次郎は畏まり、立帰りて早速に同道召連、奉行の許へ此趣きを達せし上、三月廿七日の早天に、惣人数と侶倶(もろとも)に、彼油懸 町の裏手なる、信濃町といへるへ罷り越、爰の会所へ五郎兵衛を偽り呼寄て責問けるに、此五郎兵衛の女房つねハ、平八郎が妾ゆふの姉にて、常々親しく出入なし、既に此度乱暴の節も、平八郎が押立し旗抔美吉屋が染し由、風聞あれバ、是より先に奉行所へ呼出され、糺問あるに、五郎兵衛ハ、言(ことば)を巧み、

私儀、平常(へいぜい)出入仕れバ、手拭百筋染呉ろと注文有しに、渡世のことゆゑ、何の弁へとてもなく、染遣ハし候へども、其余に染し物ハ御座なく、

と申上しに、深くも咎めなく、町内預けと成て有しに、今又此処に呼出され、吟味あるに覚えなき旨、始めの内は陳じけれども、彼下女の口振に依て、証拠を引て糺されけるに、今ハ中々秘(つゝ)み難く、迚(とて)も遁れぬ処なり、と覚悟を極め、五郎兵衛ハ、終に二月廿三日より隠匿置由、白状すれバ、会所に五郎兵衛を留置れて、渠が女房を呼出して、其方宅に二月以来大塩父子を隠匿置由、訴人有て明白なり、依て五郎兵衛を取糾せしに相違なき旨白状に及ぶ、


中瀬寿一ほか「『鷹見泉石日記』にみる大塩事件像」その3


『天満水滸伝』目次/その39/その41

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