Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.2.7

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大塩の乱史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その5

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


平八郎林家の門に入て学問を修業す
 并平八郎悪友に誘引(いざなは)れ吉原町へ往て独詩百韻を作る (2)

平八郎は座するに堪ず、免れんものと気を揉(もめ)ど、彼若者等ハ予(かね)てより平八郎を困らせんと図りて来りし事なれバ、免(ゆる)す処か、酒を強付(しひつけ)、其内相方の女郎も出、芸妓幇間に囃されて、踊りつ舞つ娯(たの)しめども、平八ハ只黙然と溜息をのみ吐(つき) 居るを、皆々見つゝ異口同音、

ソリヤ貴様にハ野暮といふもの、斯る狭斜(いろざと)へ入ながら、左様な端然(しかつべ) ハ廃玉(やめたま)ひ、チトお発しなさらぬか、

と私語(さゝやき)笑ふて退物(のけもの)にし、皆々其座に酔潰れしを、仲居が幇(たすけ)に漸々と、各々臥房(ふしど)に入けれバ、平八郎も詮方(しかた)なく、床にハ入れど、膝も崩さず、彼の相方の女郎が来るも勝手なる侭、此侭に打捨置て玉ハれ、と相手にならず、只一人灯火の許に端坐して、腰なる矢立取出し、懐紙に何やらん、細字を認め余念なく、敢て婦人と言語(ことば)も交へず、眠りもせずに至りしが、ハヤ程もなく志ら\/と、夜ハ全くに明しかバ、同伴(つれ)なる若人追々起出、迎ひに連られ茶屋へ帰り、昨夜(よふべ)の諸拂ひなさんもの、と勘定するに、何れにも皆勤学の若者ゆゑ、貯への金子乏しくて、醒(さめ)ての後に悔するも、返らぬ事と額を聚(つど)へ、囁くのみにて果しなきを、皆々相談取極めて、偖(さて)平八に対(むか)ひて言やふ

昨夜の諸払、案外にて勘定の金不足せり、然し此処に長居せバいよ\/罪を重ぬる道理、因て我々一先帰り、金子の才覚仕つて、直様迎ひに来らん程に、先(まず)夫までハ、其方許(そこもと)にハ、此処にて待玉へ、又師の前ハ、我々が能(とき)に言做置(いひなしおく)間、必ず共に案事玉ふな、左様ござれバ平八どの、

と言含つゝ茶屋へ断り、同伴の内なる一人(いちにん)を残して置て、金子をバ才覚して、早々に迎ひに来れバ承知せよ、

と茶屋の女房に言置て、そこ\/にして立去ける、

跡には一人平八が、今や迎ひに来ることかと、茶屋の手前も面目なく、心に恥て待けれど、其日ハ何の音信(おとづれ)なく、又其翌日に至れども、絶て音信(おとづれ)なきものから、何と言出す思案もなく、然し迎(むかひ)の来らぬとて何時迄此処には居られまじ、又外聞にも拘わる訳と、殆ど当惑したりしが、元来(もとより)深智の平八なれバ、屹度心に思案しつ、此家の若者を呼寄て、

(さて)気の毒なハ連なる者、我を残して金子をバ、才覚の為立皈(かへ)り、 早々迎ひに来る筈の約束なりしが、今以て否やの音沙汰なきを思へバ、何ぞ屋敷に故障でも出来(しゆつたい)せしか、然(さ)もなくバ何れか来るに違ひなきに来ざるハ甚だ不審の至り、
且又此家へ対しても、馴染なれバまだしもの事、始めて来り此不仕末、何とも面目なきことなり、何をか匿さん、某しは八代洲河岸なる学問所 林大学頭の内弟子にて、此間同伴の若者と隅田の花をバ見物に来りて、終に酔に乗じ思はず此処へ来りてより、斯(かく)の次第と相成て、今我皈るに道もなし、
依て某しと同道にて、八代洲河岸まて来て玉ハれ、然らバ諸拂ひ相済さん、

と真実面(おもて)に顕はれけれバ、彼若者も承知して、

御道理(ごもつとも)なる御辞(おんことば)、然らバ御供仕らんと、倶々(とも\゛/)急ぎ支度なし、打連だちて八代洲河岸、林家の屋敷へ到りけり


『天満水滸伝』目次/その4/その6

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