Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.2.14

玄関へ

大塩の乱史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その6

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


 ○平八郎朋友に信を顕す

(さて)も林家にてハ、彼(かの)大塩平八郎が皈(かへ)らざるに心を痛め、其日の同伴(つれ)なる甲乙(たれかれ)方へ問合するに、何れも倶(とも)に帰りし由に答へけれど、平八郎ハ今に帰らず、

何様不思議千万、打捨置んも如何なりと、此段大学頭殿の御聞に達しけるに、殿にハ是を聞玉ひ、

彼平八に於てハ気遣ひなし、今に帰来るべし、其儘にして相待べし、

と更に尋ねもし玉ハず捨置給ふに、御家来ども、主人の仰と畏(かしこ)みて其侭になし置けるが、果して平八郎帰り来しに、其段申上しかバ、殿には御機嫌麗しく、早速我目通りへ出すべしと仰せに、ハツと心得て、則ち召連罷り出しに、殿にハ平八と対面ありて、

其方両日の其間、何方(いづかた)へ参り居りしや、包まず話せ、

と尋ね給ふに、平八郎ハ、慎んで、

私儀、風と心得違ひに吉原町へ罷り越、彼遊女屋に止宿いたし、多分の金子を遣ひし処、其揚代金に差支へ、必至難渋如何とも致すべき様あらざれバ、余儀なく茶屋の若い者一人、同道仕り罷り帰り申候、何卒右の代金を御立替下さるれバ、千万難有き仕合、

と其事由(ことがら)を臆する色なく事詳(つまびら)かに答へたり、

近習に詰合人々が此事を聞、平八郎が答へ如何と、手に汗握り恐れ入てぞいたりける、

殿にハ、又も平八に向ひ、

其方、遊女屋に罷り有て、如何なる娯(たのし)みをなせしや、

と問れて

這方(こなた)ハ、ハツと平伏、頓(やが)て懐中より鼻紙に綴りし物を取出し、是を御前へ差出すを、大学頭殿手に採給ひ、一覧ありて宣(のたま)ふやう

其方、外に同伴(つれ)でも有しや、如何に\/、

と有けれバ、平八郎は恐れ入て、

一向同伴とてハござなく、全く国への土産と存じ、風と隅田堤の桜を見思はず、遊所へ入込て、斯の次第に相成し事、何とも申 上べき様なく、面目次第是なし、

と御答へにぞ及びける、

大学頭殿点頭(うなづき)給ひ、渠(かれ)が出せし懐紙をバ、篤と見玉ひ、莞爾(につこ)と打笑(うちえみ)

汝が性質、堅固にて、色に心を奪ハれざるハ、其仔細を言ずして、我宜(よく)是を知るものなり、是ハ独詩百韻を記せし書(もの)

と宣ひて、平八郎に返し玉ひ、

(さて)申出の揚代金を、残らず払ひ遣ハすべし、

とて、金子を出し与へ玉へば、平八郎ハ、

有難し、

と右の金子を押戴き、御前を下りて召連来し彼若い者へ払ひ遣ハし、渠(かれ)を労(ねぎら)ひ帰せしとぞ、

依てこのことハ故なく済み、夫より後ハ学問のみ日々夜々に励みける、

(さ)れば此始末を同道せし甲乙(たれかれ)が聞伝へて、偖しも平八が、先日の一件(こと)、其身に引受、傍輩の悪事を決して言立ず、大学頭殿御前にて、更に臆する気色なく、少しも包まず明白に答へし様と、遊所にて聊(いさゝ)か心を動さず、詩を作りて楽み居し其有様とに感じ入、中\/渠(かれ)が行状ハ、凡人の為し難き処、我々などが及バぬ処、と其日誘引(さそひ)し朋友(ともだち)等、慚愧後悔、平八郎に対ひて罪を謝しにけれど、平八郎ハ、怒れる色なく、更に其事に取合ず、能程に挨拶して、何も言ずに居たりしとぞ、

是より其身ハ殊更に、書籍に眼をさらしつゝ旦暮(あけくれ)、余事にハ目も触ず、只管(ひたすら)励み学びしかバ、学業の上達著るしく、平八郎が上に立弟子とて、他に一人もなく、皆々是を尊びけり、

彼吉原にての事の始末を、大学頭殿にハ感じ玉ひ、其日の友を言ずして一人に事を引請し、其心底の信あり義あるを、後々迄も諸弟子中へ物語られて賞玉ひしとぞ、


『天満水滸伝』目次/その5/その7

大塩の乱史料集目次

玄関へ