Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.2.21

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大塩の乱史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その7

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


 ○平八郎父が病気の報知(しらせ)に故郷へ皈(かへ)る (1)

昨日今日と思ひしに、平八郎は林家に寄宿なしてより、経(たつ)ともなく果五年の星霜(とし)を過し、蛍雪の功積りて、天晴儒者とハなりにける、

(さ)れば大学頭殿ハ歓び玉ひ、難波に帰り行とても渠(かれ)が如きの学業の者、予が門弟とある時ハ、我名も連て芳しけれ、と末頼母しく思し召ける、

然る処に或日の事、大坂より書状の来れり、

平八郎も五年の間、父母の顔をバ見ぬものから、如何成行玉ひしや、定めて年老玉ひつらん、一度(ひとたび)帰りて案否を問ん、と思ひつれども、然(さ)ある時ハは最早老年の父母なれバ、再び放ちて下すまじ、夫を振切また再度(ふたゝび)東都へ出ること難(かた)し、如(しか)し、よく\/学を修め、夫を土産に立帰り、不孝の罪を償ハん、と心に思ひ居ける時ゆゑ、何事やらんと胸轟き、取手遅しと開き見れバ、

父の老病重り来て、憑(たの)み少なくなりしかバ、師に暇をば速かに乞ふて上坂なさるべし、父の待詫玉ふ事、一日千秋の想ひなり、

と言越したれバ、平八郎ハツと驚き、一日も猶予ならじ、と直様 に其趣旨を申上、暫くの暇を願ひけるに、大学頭殿聴たまひ、平八郎を御前へ召れ、仰出されける様ハ、

其方父大病の由、告越たれバ暇を乞ふ段、如何にも許し遣ハすべく、早く帰りて看病なすべし、然(さり)ながら、更(あらた)めて告越たることなれバ、全快の程も斗り難し、其方学業上達なし、末頼母しく思ふ なり、立帰りなバ、猶以て出精なして名を揚よ、人倫の道を忘るゝな、老父全快なすとても最早出府は叶ふまじ、

とてお盃をバ下されて、種々拝領物などなしけれバ、平八郎ハ頂戴し、数年の厚恩、冥加至極有難し、とて御礼なし、

何れ着坂の其上ハ、早々御礼申上ん、又老父にも御恩の程を申 聞せて歓バしめん、

と御前を下り、取急ぎ旅の用意を調へて、又、傍輩へも懇ろに暇乞に及びしかバ、何れも名残を惜み合ひ、何くれとなく手伝ひて、既に用意も調ひけれバ、林家の屋敷を出立しけり、

下りし時とハ事替りて、父の病に心も急(せか)れ、名所古跡に目も留ず、夜を日についで急ぎ行、漸 々にして天満なる父の許にぞ着にけるが、直様旅の支度のまゝ父の病床に至りつゝ、久々にての対面に、兎角の言葉も出バこそ、互に泪に咽(むせ)ぶのみ、歓び合ふこそ道理なれ、平八郎ハ熟々(つく\゛/)と 父が病気の体を見るに、僅五年の間なれど、思ひしよりは年老て、いとゞ病苦に面痩て、憑み少なき其有様、何と言んも胸塞り、泪呑込居たりしに、父ハ病苦を打忘れ、重き枕を擡(もた)げつゝ、平八郎が天晴と男になりしと見上見下し、悦ばし気に言ふ様ハ、

其方、東都に赴きてより算へて見ればハヤ五年、旦(あけ)暮案じ暮せども、我又孟母が教に做(なら)ひ音信せざるも故あること、古郷を思ひ、勤学の妨げにもならんかと、其儘にして打過たり、然(さり)ながら、人の親の子を思はぬ者ハなし、便りの度に怠らず、励み学ぶと聞嬉しさ、今立帰りて父と子が対面なせし上からハ、此世に思ひ残すことなし、我病旦夕(たんせき)に迫れり、鳥の正に死なんとする時、其いふこと宜しとかや、老父が言こと熟(よ)く聞べし、幼(いと)なふして学ぶハ、老て仕へんが為なり、汝家を相続なさバ、人に秀でし学才ありとも、己れに慢じ、無学の者と侮り軽しむることなかれ、且、我家ハ奉行の配下、罪の軽重公事訴訟、苟(かり)にも人の身命に拘(かゝ)はる事を取扱へバ、依怙贔屓なく正義を守り、公儀のお為を第一に、慈悲を忘るゝことなかれ、君に捧けし一命なれば、天下の御為となることハ、下(しも)万民の助けとなりて、名を後代に輝かし、其を記録に留めよかし、

文武の道ハ車の両輪、文学のみでハ納らじ、武道に疎きは士といふべからず、我汝に言置事、唯此一事のみなれバ、爰の処を能々(よく\/)弁へ、全き忠を顕ハすべし、此他ハ汝が心得に有べき事

と教訓しけれバ、平八郎承はり、尊父の御教諭心魂に徹し、世終るまで忘るべからず、屹度名を揚申べし、

と答に、父はいと嬉し気に此世の名残、其暁、眠るが如く息絶たり、

平八郎が愁傷ハ更なり、家内の悲歎(なげき)いふばかりなく、斯(かく)て有べきことならねバ、親族打寄倶々(とも\゛/)に野辺の送りをなしにける、


管理人注
大塩平八郎の父は、寛政11年(1799)歿(平八郎7歳)、祖父は文政元年(1818)歿(平八郎26歳)。文化3年(1806、平八郎14歳)与力見習に出仕しているので、この逸話は信憑性に欠ける。


『天満水滸伝』目次/その6/その8

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