Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その10

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

二 哲学的思索
 (其一)(3)
管理人註
   

 さて中斎先生は空間をいかに見られましたか?中斎学の研究はこの一 問によつて正にその序幕が切り落されるのであります。今洗心洞剳記を 繙きますると、劈頭第一に掲げられた霊活の大文字、爛々として私共の 瞎眼を照破するものは実に次の如きであります。  『天不特在上蒼々大虚已也。雖石間虚竹中虚亦天也。況老子所  云谷神乎、谷神者人心也。故人心之妙与天同、於聖人可験矣。常  人則失虚。焉足之哉』  之れによつて見ますると、中斎先生は空間を直ちに天と呼び、之を空 虚(太虚)なりと解せられてゐるやうです。普通空間と云へば、そこに 空気とかイーサーとかゞ充満してゐて、猶物質的の感を免かれませぬ、 少なくても形而下のものでありますが、しかし之を大虚と云ひ、聖人の 心と同一のものであるとして見れば、それは既に形而上のもので、空間 を超越した心霊の義となるのであります。中斎学の天(太虚)にこの両 面を有つてゐるところが、やはり老子の思想に一致して居ると思ひます。      道は無名  人の挙し得べき道  そは永遠の「道」にあらず  人の命じ得べき名  そは常住の名にあらず  故に  しばらく「道」の体を「無名」と名けむ  これ霊元なり、天地の始なり  「道」より出づるの用  しばらく之を「有名」と名けむ  これ物元なり、万物の母なり  この二元観を異にせれど  その根源は唯一なり  おの/\一個の神秘にして  その根元(即ち道)ぞ神秘の神秘  一切霊妙なるものゝ  由りて出づるの門なる     道 体  万有は「有」に生ず、物元これなり  物元は「無」より生ず、霊元これなり  この霊元ぞ、「道」の体なる

(ひもと)き

劈頭
(へきとう)
最初、冒頭

瞎眼
(かつがん)
盲目


『洗心洞箚記』
その2


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