Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.9.17

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎空虚の哲理』

その25

高田集蔵

立正屋書房 1925

◇禁転載◇

三、宗教的修練
 (其二)(4)
管理人註
   

 先生の著、空虚に関するもの、箚記の外、別に儒門空虚聚語のあるこ とは夙に御存じでありませう。これは孔子の空々、顔回の屡空を初め、 十一則の経語に対する儒流諸家の解説を集めたものであります。空虚の 文字は、決して之を仏家に壟断せしむべきものでなく、仏説未だ中国に 入らざる以前、孔聖既に之を説き、後儒亦いかに詳に之を述べて居るかゞ 明かにされて居ります。而も世の聡明者が之を読んで太虚を誤解し、ア ナーキカルな虚無者流に堕せんことを虞るゝの老婆親切から、人心の本 体たる太虚と、人倫の本義たる孝道との関係を明かにすべく、曾稿たる 藤樹先生致良知三大字真蹟之跋を自序の後に附載されて居ります。奇異 なる文字の排列かな。大虚の孝と、それに何らの関係縁由ありやと近代 の人は訝むでありませうが、それは真道の久しく隠れて之を闡明する者 なき為めに生ずる疑惑でありまして、孝を生出来せざる如き空虚は、生 命なき頑空、以て人心の本体と為すに足らざるものたるは、賢明なる諸 君の夙に諒知せらるゝ所でありませう。  私が曾て久しく耶蘇を神の子なりと信じ得た所以は、彼の上に、古今 東西稀に見るの大孝子たる面影を認めたからであります。彼は宇宙の本 体を「天の父」として信じたことほど、自ら天地の子心に生きてゐまし た。大孝終身慕父母、予於大舜見之とは孟軻子の語でありますが、私は 亦終生父母を慕うて已まなかつた大孝の例を耶蘇の上に見る者でありま す。それからまた耶蘇の良知、常に明かにして限りなく神の真理を感得 することが出来ましたのは、申すまでもなく、彼が天真謙虚なる嬰児の 心を失はなかつたからであります。  「天地の主なる父よ、われ感謝す、此等のことを智き者、慧き者にか  くして嬰児に顕はし給へり、父よ、然り、斯くの如きは御意に適へる  なり」  これらの言葉を、前に引用しました「嬰児の如く謙らずは天国に入る 能はず」「虚心者は福なり云々」の語と共に味つたならば、耶蘇がいか に人間の智識聡明を退け、嬰児の謙虚純真に立ち帰らねば、宇宙の本体 に直参してその心を識るの不可能なることを力説してゐるかに就いて、 蓋し思ひ半に過ぐるものがありませう。





顔回
顔淵
春秋時代の魯
の人
孔子の最愛の
弟子











(いぶかし)む

闡明
(せんめい)
はっきりとあ
らわすこと

頑空
(がんくう)
実体がなく、
むなしいこと







孟軻子
孟子
軻は諱









「ルカ伝」

(かしこ)き
(さと)き






『大塩中斎空虚
の哲理』
その20


『大塩中斎空虚の哲理』目次/その24/その26

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ